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2011年09月22日
ブログ復活! & ボスニア・ヘルツゴヴィア 入国!! の巻
はいさい、ご無沙汰してました。 やっとブログ再開出来ます。
心配をかけたことを謝ると共に、多数の励ましのメール等ありがとうございました。 もう、事件からは立ち直り頑張っていきます。 これからもよろしくお願いします。
11月15日、例の事件があったのでこの日は朝から、警察署にいき事情徴集とポリスレポートを出してもらった。(これがないと保険が下りない)
夕方、宿を移って盗難事件の腹いせに、中華料理を食べ満足した。
翌日、列車の切符と新しいカメラを買いに行ったが、ここでもまさかの失敗を犯してしまう・・・
カメラとチケットを買い、宿をチェックアウト後、「べオグラード」行きの夜行列車に乗った。 荷物を置き、トイレへ行った帰りに、何気なくパスポートのチェックをしたら・・・
ない! パスポートがない!! どうさがしてもない!!!
普段、腹巻に入れているが、チャックが空いていてパスポートがなくなっていた。
とりあえず少し落ち着いて、最後にどこでパスポートを見たのかを思い出すことにした。
最後に見たのがカメラを買うときで、税関申告用にパスポートを提示した時にみせたのを思い出した。 その後、受け取ったかどうかは忘れてわからない。(><)
うる覚えだ。 だが、もし店に忘れていても、店の従業員が盗んで、「ここにはなかった」 と言われる可能性もある。 万が一のこと(パスポート再発行)も考え、列車を降り、とりあえず宿に戻った。
その時、夜の11時を過ぎていて店は閉まっているので、翌日店に行くことにした。
翌朝、店が開くと同時に中に入った。 すると昨日、カメラを買うときに対応していた従業員が
「おまえ、パスポート忘れていたぞ! 気をつけろよ」
といい、パスポートを渡してくれた。 話によると、日本大使館にまで連絡したらしい。 かなり親切な人でよかった。
今まではパスポートを取り忘れる、ということは一度も無かった。 多分、事件の後遺症でまだ動揺していたのかもしれない。 まっ、とにかくパスポートが無事に戻ったのはすごくラッキーだった。
その日の夜、夜行列車でセルビアの首都「ベオグラード」へ向った。(28レバ→約2500円・7時間)
11月17日朝7時、べオグラードに着いた。 セルビアといえば元ユーゴスラビアで、独立時に内戦があり、街の中にはNATO軍が、ミサイルで破壊したビルがまだ残っているらしい。 そこだけ見てボスニアに向うつもりだったが、街は雪が降っていて、10センチは積もっている。 寒さに負けて観光はせず、1時間後に出るサラエボのバスに乗った。(1225DIN→約2500円・8時間)
移動中の景色は一面雪景色で、スノボをしたくなった。
夕方4時、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都「サラエボ」に着いた。
ここ、サラエボは1984年に、冬季オリンピックが行なわれたところだが、その7年後の1991年に、ユーゴスラビアからの独立のために激しい内戦がおきた場所だ。
この戦争で、約20万人が犠牲になったといわれている。 その犠牲者の数は、二つの世界大戦の次に多いことから、その死者の数の多さがわかる。(難民は総人口の半分の250万人) しかも、その戦争が終わったのが1995年だから、終戦からまだ10年ちょっとしかたっていない。 街はだいぶ復興されていて、新しい建物が多い。 だが住宅街に入ると、まだ壁に銃痕の跡が残っていて、市街戦の激しさを物語っている。
また、オリンピックスタジアムの跡地(サブグラウンド)には、戦争でなくなった人たちの墓地になっている。
見ていると気持ちが沈んでしまうが、戦争の悲惨さ・平和のありがたさを実感できるから、みないといけないと思った。
このサラエボの街は半分に区切ってあって、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国と、セルビア人共和国に別れている。 そのボスニア側にはクロアチア人・ムスリム人が住んでいて、セルビア側はセルビア人が住んでいる。 そのせいか夕方になると、イスラム教徒のアザーンと教会の鐘がこだましている。 不思議な感じがした。
旧市街(とはいっても新しく立て直されているので、新市街っぽい)は、ツーリスティックな場所で、とても最近まで戦争があったところとは思えないくらいキレイな造り。
また、その近くには第1次世界大戦のきっかけとなった、サラエヴォ事件現場の橋もあり、昔から内紛の絶えなかった場所、というのを感じさせられた。
街の中にある破壊された後の建物
世界大戦のきっかけとなった「サラエボ」事件の橋
オリンピックスタジアムにある墓地
心配をかけたことを謝ると共に、多数の励ましのメール等ありがとうございました。 もう、事件からは立ち直り頑張っていきます。 これからもよろしくお願いします。
11月15日、例の事件があったのでこの日は朝から、警察署にいき事情徴集とポリスレポートを出してもらった。(これがないと保険が下りない)
夕方、宿を移って盗難事件の腹いせに、中華料理を食べ満足した。
翌日、列車の切符と新しいカメラを買いに行ったが、ここでもまさかの失敗を犯してしまう・・・
カメラとチケットを買い、宿をチェックアウト後、「べオグラード」行きの夜行列車に乗った。 荷物を置き、トイレへ行った帰りに、何気なくパスポートのチェックをしたら・・・
ない! パスポートがない!! どうさがしてもない!!!
普段、腹巻に入れているが、チャックが空いていてパスポートがなくなっていた。
とりあえず少し落ち着いて、最後にどこでパスポートを見たのかを思い出すことにした。
最後に見たのがカメラを買うときで、税関申告用にパスポートを提示した時にみせたのを思い出した。 その後、受け取ったかどうかは忘れてわからない。(><)
うる覚えだ。 だが、もし店に忘れていても、店の従業員が盗んで、「ここにはなかった」 と言われる可能性もある。 万が一のこと(パスポート再発行)も考え、列車を降り、とりあえず宿に戻った。
その時、夜の11時を過ぎていて店は閉まっているので、翌日店に行くことにした。
翌朝、店が開くと同時に中に入った。 すると昨日、カメラを買うときに対応していた従業員が
「おまえ、パスポート忘れていたぞ! 気をつけろよ」
といい、パスポートを渡してくれた。 話によると、日本大使館にまで連絡したらしい。 かなり親切な人でよかった。
今まではパスポートを取り忘れる、ということは一度も無かった。 多分、事件の後遺症でまだ動揺していたのかもしれない。 まっ、とにかくパスポートが無事に戻ったのはすごくラッキーだった。
その日の夜、夜行列車でセルビアの首都「ベオグラード」へ向った。(28レバ→約2500円・7時間)
11月17日朝7時、べオグラードに着いた。 セルビアといえば元ユーゴスラビアで、独立時に内戦があり、街の中にはNATO軍が、ミサイルで破壊したビルがまだ残っているらしい。 そこだけ見てボスニアに向うつもりだったが、街は雪が降っていて、10センチは積もっている。 寒さに負けて観光はせず、1時間後に出るサラエボのバスに乗った。(1225DIN→約2500円・8時間)
移動中の景色は一面雪景色で、スノボをしたくなった。
夕方4時、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都「サラエボ」に着いた。
ここ、サラエボは1984年に、冬季オリンピックが行なわれたところだが、その7年後の1991年に、ユーゴスラビアからの独立のために激しい内戦がおきた場所だ。
この戦争で、約20万人が犠牲になったといわれている。 その犠牲者の数は、二つの世界大戦の次に多いことから、その死者の数の多さがわかる。(難民は総人口の半分の250万人) しかも、その戦争が終わったのが1995年だから、終戦からまだ10年ちょっとしかたっていない。 街はだいぶ復興されていて、新しい建物が多い。 だが住宅街に入ると、まだ壁に銃痕の跡が残っていて、市街戦の激しさを物語っている。
また、オリンピックスタジアムの跡地(サブグラウンド)には、戦争でなくなった人たちの墓地になっている。
見ていると気持ちが沈んでしまうが、戦争の悲惨さ・平和のありがたさを実感できるから、みないといけないと思った。
このサラエボの街は半分に区切ってあって、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国と、セルビア人共和国に別れている。 そのボスニア側にはクロアチア人・ムスリム人が住んでいて、セルビア側はセルビア人が住んでいる。 そのせいか夕方になると、イスラム教徒のアザーンと教会の鐘がこだましている。 不思議な感じがした。
旧市街(とはいっても新しく立て直されているので、新市街っぽい)は、ツーリスティックな場所で、とても最近まで戦争があったところとは思えないくらいキレイな造り。
また、その近くには第1次世界大戦のきっかけとなった、サラエヴォ事件現場の橋もあり、昔から内紛の絶えなかった場所、というのを感じさせられた。
街の中にある破壊された後の建物
世界大戦のきっかけとなった「サラエボ」事件の橋
オリンピックスタジアムにある墓地
Posted by キヨドコ at 05:35│Comments(0)