てぃーだブログ › キヨのなんくる旅日記

【PR】

  

Posted by TI-DA at

2011年09月29日

ダハブで 食う・寝る・泳ぐ! の巻

はいさい、きよです。
ダハブに約3週間いました。 今回は、その時の様子を書きます。

ダイビング免許取得後は、基本的に毎日ダラダラした生活をしてました!
昼前に起きて朝食兼昼食を食べに、海沿いにあるレストランへ!!  10ポンド(200円)のブレックファーストを猫と一緒に、海を眺めながら食べる。  



食べ物欲しいニャ~


その後、読書や昼寝をしたり、シーシャ(水タバコ・コーヒーミント味が最高!!)を吸ったり・・・ こういう風にレストランで3,4時間過ごした後、海でシュノーケリング。 

夜は自炊と外食を日替わりで。  
エジプトの物価では外食は安くないほうだが、町並みのネオンや潮騒という最高のロケーションだったので、ケチらないでよく外食していました。




船の形のお洒落なバー

レストランは和食や中華、韓国料理・タイフード等各国の料理があるが、一番おいしかったのが魚介類だった。 

海が近いのもあり、タイやイカが新鮮でめっちゃうまかった。
魚料理は大体コースになっていて、25ポンド(500円)でサラダ・スープ・パン・タヒーナ・メイン・ドリンク・デザートが付いてくる。 



その中でも一番おいしかったお店が、街から歩いて20分くらいのところにある「Al yousef」この店は旅中であった、シンジさんエミちゃん夫婦から教えてもらった店だ!  話によるとそこのスープは世界1美味しいらしい・・・   



っでそこの店のスープを飲んだら・・・・・やばかった!!
カニ・タイ・エビ・貝(アサリみたいの)が具沢山で、それから出るダシが絡み合って、深くて旨みが凝縮されていた!!  もちろん、超~美味である!!!



他にタイのグリルとイカのフライを頼んだが、これも素材のよさを生かした味付けで、とても美味しかった。  聞くところによると、ここのシェフはフランスで修行したらしい・・・  
ここ、オススメです!!





夕食後は宿ですいか割りをしたり、たっくんが持ってきた麻雀で徹マンしたり・・・



またある日、宿から歩いて30分のところにある「ブルーレイク」に行った。



この湖(?)は海の近くにあり、なぜか塩分が高い。  もともと海だったのか、海水が湧き出てきているのか、よくわからないがここは海よりも身体が浮く。  あと底にある泥が、肌にいいらしい。
死海まではいかないが、それに近い感じだ。   子供の時みたいに、みんなで泥を塗りたぐって遊んだ。





ダハブは本当にいいところだぁ!!  

Posted by キヨドコ at 01:45Comments(0)

2011年09月28日

世界有数の海 紅海にメロメロっす の巻

5月7日朝9時前、ぺトラからアカバという町に向かった。(3DJ 約360円)
本当はここからアンマンに戻りイスラエルへ行く予定だったが、死海で海に触発(?)され、頭の中は「うみ生み海」になっていた。  そういうわけで、イスラエル行きをあきらめた。
アカバからはスピードボートと、スローボートでエジプトのヌエバにいける。   っっっが、ここのフェリー代がめちゃくちゃ高い!!  
それは、イスラエルを通り抜けたくない人(他のイスラム圏の国に入れなくなるため)が、通れるルートがここしかないためである。   つまり足元を見ているということだ。

少しでも安いスローボートで行くことにするが、夜中しか運行がなくてスピードボードしかない。
しかも値段は約60ドルもする!   値下げ交渉をするが、まったく値下げに応じない。
仕方なくこのスピードボートに乗ることにした。  「出発は2時だ!」っと言っていたが、結局4時に出航。 1時間半で無事ヌエバについたが、なかなか外に下ろしてくれない。
1時間船内で待ち、外に出てエジプトのビザをもらったときには夜の7時。
ヌエバから目的地の「ダハブ」まではバスが出ているが、最終のバスはとっくに終わっている。
時間通りに出航&船内でまたされなければ、余裕でバスに乗れたのだが・・・   
この町は安宿がないので、仕方なくタクシーで向かう。(一人60ポンド 約1200円 1時間半)

ダハブについた時はあたりは暗かったが、観光客が大勢いてすごく賑やかである。  
シリア・ヨルダンで会った、シンジさんエミさん夫妻オススメの宿「ビシュケシュ」にチェックインをした。 その宿は中庭にくつろぎスペースがあり、やしの木と寝転がれるソファーがある。  まるで砂漠のオアシスをイメージしていて、とても居心地のいい宿だ!!(ドミトリー20ポンド・ダブル50ポンド)



次の日町散策をしていたら、どこからか聞き覚えのある声が・・・
そこにはハンガリーのブタペストで会った(その前に中国でも会っていた)、ノリさん・マオさんがいた。  ルート的に、もう会えないと思っていたからビックリ&嬉しかった。
この二人は、「ヘレナハウス・暴飲暴食の会」の仲間である。  それはドイツで治験を受けるために、体重が足りないのを補うために発足された奇妙(?)なサークルである。 

話がそれたが、その二人とまた再会ができた!!   二人はダイビングの免許を取ったらしい。
俺も取るつもりだったので詳しく話を聞くと、「ディープブルー」というダイビングショップで免許を取ってそこに滞在しているとのこと。  
しかも値段が安くて(ドミトリー10ポンド 約200円)、自炊ができるということだったので、次の日には宿を移り、ダイビングの講習を受けることにした。


海辺のレストランにて・・・


ブレックファースト(10ポンド)


食べ物をねだる猫

ダイビング免許講習1日目、インストラクターは「ゾム」という、ガンダムに出てきそうな名前の女の子である。  
かわいい顔だが、口癖が「海をなめたら・・・・・死ぬよ」   得意技は「相手の話のはなを折ること」 という、なかなかキュートな(?)先生である。
ダイビングは安全なアクティビティーだが、間違いが重ね合うと最悪の場合、死に至ることもある。
なので、気合を入れるために講習中は、シャー君(サメの被り物)で受けることにした!!
これはなかなか受けがよく、外人さんには大好評だったが、たまに「サメには空気ボンベは必要ないだろっ!」と、変なつっこみをする人の対応が大変だった。






講習を受けるサメ



講習は順調に進み、3日目にはオープンウォーター、5日目にはアドバンスまで取れた。 アドバンスまでとると、ナイトダイビングや、30メートルまで潜れるようになる。
ちなみにアドバンスの講習で、キャニオンとブルーホールという所に潜れるという特典付。

キャニオンというスポットは、クレパスの中に入って行き30メートルの深さまで潜る。 そこから上を見上げると光が差し込んでいて、濃いブルーから淡いブルーに変わるコントラストが、とてもきれいだった。  もちろん海のきれいさは抜群で、沖縄の八重山位である!!  しかも大型魚が多くて、ナポレオンフィシュも見れた!!(体長は約1メートルくらい)
ブルーホールは200メートルの深さがある穴のことで、そこを見ていると中に吸い込まれそうな気分になって少し危ない。  例えて言えば、高いところから地上を見ると、下に落ちたくなる気分と一緒だ。
そこの周りはサンゴの崖で、お花畑にいるような気分になる。
「こんなにきれいなところがあったんだ!」という気分になった。

アイランドというスポットは、千年以上かけて育ったサンゴが森のように広がっていて、マシュラバと言う所でのナイトダイビングは、空を飛んでいる気分を味わえる。

みんなもダハブで、ダイビングをしてはいかがですか? エジプトにある紅海はマジ、激ヤバです!!
ちなみに費用は、オープンウォーター&アドバンスで$400です。
  

Posted by キヨドコ at 23:15Comments(0)

2011年09月28日

ぺトラで 少しだけインディージョーンズ気分 の巻 

5月5日お昼1時過ぎ、1週間近くいたアンマンからぺトラへ向けて出発した。(3H 3DJ→約480円)  
ぺトラといえば遺跡が有名である。 あの「インディージョーンズ・最後の聖戦」のロケ地となったところでもあり、世界各国から観光客が訪れる所だ。
しかしひとつ問題がある。 それは、ここの入場料がやたらと高いということだ。 入場料は1日券で20DJ(3200円)もする。  短期旅行の人ならそんなに高くも感じないが、長期旅行者にとってはとても高い金額になる。  学割も国際学生証だけではだめで、日本の学生証もないといけない。(ちなみに国際学生証はハンガリーで作成)
どうしても見たいが値段が高すぎるので、裏技を使うことにした。

それは、遺跡の門が開く朝6時前に遺跡に入り、中で入場時間が来るまで隠れていて、それから観光をするという作戦である。 これは旅行者には有名な話で、今までいろんな人が作戦を実行している。  ちなみにそれをすると、遺跡内から朝日も見れるという特典付だ!!

前日の夜の内に、サンドウィッチの弁当を作り準備万端で翌朝を向えた。
翌朝4時に起床。  前日は興奮のためか寝つきが悪かったせいか、少々寝不足気味だったがすぐにテンションをあげて出発した。



町からぺトラ遺跡までは、歩いて20分くらいだ。  まだあたりは暗く懐中電灯が必要だ。     途中で水が流れていない川跡に降り、そこから壁つたいに隠れながら歩いていった。  
遺跡入り口前に、最大の難所のポリスボックスがあった。  一人ずつ音を立てずに慎重に歩いていき、無事にこの難所を突破した。    気分はハリソンフォードである。  多分、端から見ればドリフのコントのように映ったはずだが・・・

この難所を突破できたときはすごくうれしくて、皆でハイタッチをして作戦成功を祝った。 (思えばこの時が1番面白かった)

それからは順調に遺跡内を歩いて30分後、エル・カズネ(宝物殿)といわれる映画で使われた遺跡の前に出た!!  




インディージョーンズのロケで使われた「エル・カズネ」

紀元前1000年に作られたものにしては、柱の装飾がきれいで(修復したのかは不明?)思ったより大きかった。  そこは岩をくりぬいて作られたもので、その大きさと細かさにすごく感動した。
中にも入れそうだったが後で入ることにして、朝日の見える所で朝食を食べるために、急いで丘に向かった。(それが間違いの元になったわけだが・・・)

周りがだんだん明るくなってきていたが、あまり気にせずに歩いていった。












ドンキー君

大きい広場に出てしばらく歩いていたら突然、近くにあった建物から人が出てきた。 
「あっやばい!」 と思って別のほうに歩いていこうとしたが、なぜかそちらのほうに進んでしまう。
まるで車に乗っていて、警察の検問所に吸い込まれるような感覚である。
「アッサラモア・レイコン」 「レイコン・アッツサラム」 という挨拶を交わして通り過ぎようとしたが、一人の男がなにやら言っていた。 チケットのことを言っているとわかったが、知らない振りして立ち去ろうとすると腕を捕まえてくる。 その後英語ができる人が来て、チケットは持っているか? とか、どうやって入ってきたか? とか質問してきた。  その時点でまだ開始時間前だったので、「朝日を見に来たけど、門が閉まってきたからそのまま入ってきた」 ということにした。 
「チケットを買ってからじゃないとだめだから、車で警察まで行く」ということになり、車でチケット売り場の近くまで連行(?)された。  
入り口につくと「あそこが警察だ。 あそこに行くか? それとも一人5DJ払うか?」と言った。

ワイロの要求である。 賄賂を払うのはあまり好きじゃないが、今回は自分に非があるわけだから、ここは払って何もないことにすることにした。  
だけど、一人5DJ(約600円)は高いので、みんな(3人)で、5DJにすることに成功した。

チケットを買ってまた入場することもできたが、エル・カズネを見ることができたので、その後は入らなかった。
次回来た時は、チケットを買って堂々とゆっくり観光しようと思う。  

Posted by キヨドコ at 22:48Comments(0)

2011年09月28日

ヨルダンの有名人と 浮かれちゃった死海 の巻

4月30日朝、首都のダマスカスへ向かった。(90SP 約180円 3H) ダマスカスへついて、別のバスターミナルに移動して、ヨルダンの首都{アンマン}行きのバスにのった。(500SP 約1000円 6H)
このバスが思ったよりもいいバスで、3列シートのゆったりとしたシートで快適だった。
夜8時半にアンマンに着き、{JORDAN RIVER}という宿にチェックインした。 この宿には中東1の有名人、サーメルが働いているところだ。 このサーメルは日本人が好きで、めちゃくちゃ親切にしてくれるらしい。 このサーメルに会いに、わざわざここに来る人もいるくらいだ!!



宿に行くとすぐにサーメルが出迎えてくれた。 うわさ通りのいいやつだ。
少し街を案内してくれると言うので、みんなで街に繰り出した。
お金の両替を終えてサーメルが、みんなにコーヒーをご馳走したいから、カフェに行かないかと誘ってきた。
ほかに買い物をしたかったので、みんなと別れて市場に買い出しに。
買い出しから戻り、宿で夕食を作っていたら、サーメルと一緒にカフェに行っていた友達が戻ってきた。
{大変なことになっている!!} とその友達は血相を変えていっている。
話を聞くと、サーメルは最近恋人のことで悩んでいたらしく、連絡が取れない(メールと電話)らしい。 それで自暴自棄になり、イラクでの通訳の仕事に行くことにしたとのこと。 しかもそれが明日らしい。
うーーん、初対面でこんなこと聞かされてもどーしようもできない。
結局この日から宿に滞在中、サーメルにはあえなかった。(本当に行ったのだろうか?) だれかその後のサーメル情報知っていたら教えてちょ。

話を変えて、この宿には中央アジアで会った、サイクリストのひろしっちと、会えばいつもおいしい料理が食べられる、ひろき君あきちゃんカップルもいて、毎日自炊祭りで食べまくっていた!!
ほうれん草のおひたしや、ジャワカレー、お好み焼きとおいしい和食のオンパレードだった!! しかもお好み焼きの時に、ひろき君がお好みソースを作った!(作り方は企業秘密)    めっちゃうまい!!!


お好み焼き


久しぶりの再会


喫茶店でシーシャ

毎日食べまくっていたので、みるみるうちに太っていった。 しかも、スイーツも安くておいしい。 顔がパンパンになっちゃった。

体を動かさないといけないと思い、世界的に有名な死海に行くことにした。
そこは海抜がマイナス500メートルで、もともとあった海がだんだん小さくなり(主に蒸発のため)、海の塩分が異常に高くなっている海だ。
したがって海水の浮遊力が、半端なく高くて誰でも浮けるところだ。

バスと乗り合いタクシーで、死海にあるビーチにたどり着いた。
ここにあるビーチは入場料がたかく、10JD(約1600円)もする。
このことを知っていたので、そのビーチのとなりにある無料ビーチに向かった。
そこは殺風景で死海の泥もなかったが、中に入れば同じ海。 ちゃんと海水浴後のシャワー用の水も持ってきている!

まずは死海の水を味見してみた。

{に、苦い!}


岩についている白いのは塩の結晶

http://www.youtube.com/watch?v=l5KvPfpDFtU

そう、しょっぱいのを通り越して苦いのである!!
そして次に浮いてみた。

{す、すごい!}


死海に浮かびながらラーメンを食べてみる

http://www.youtube.com/watch?v=LHImSJAyuAU

その浮遊力はすごくて、少しバランスを崩すと身体がクルクル回ってしまう。 これでもし海水が目に入ったら、すごいことになるだろう。
お約束(?)として、浮きながら宿から持ってきたカップラーメンを食べた。 (死海の付け麺は苦くて食べれなかった)
あと海中で歩いてみると、足がつかなくてもあごから上がちゃんと浮いた。 その状態で歩くとまるで、宇宙空間で 浮いているような感覚だった。
そうこうして、しばらく(1時間以上)楽しんでいたが、だんだん身体がヒリヒリしてきたのであがることにした。
死海はあんまり期待していなかったが、行ってみるとめちゃくちゃ面白い!!
ぜひ、 訪れてみてください!!


市内にある遺跡


骨董品店にあったデカ指輪(100ユーロ)
  

Posted by キヨドコ at 22:15Comments(0)

2011年09月28日

水車と天空の城の町 ハマに はまった の巻

4月24日ひる2時、水車で有名なハマヘ向かった。(2H 90SP→約180円)
そこで旅人にいいと評判の「リヤドホテル」に泊まった。
確かにココは居心地が良いホテルで、ドミに泊まっているにもかかわらず毎日、ベッドメイキングしてくれる。 些細な事だが、こういうところで旅人(貧乏旅行者)の心をつかむのだ。

話はそれたが、このハマという町は適度に物が揃っていて、のんびりとしか感じのする所でなかなか感じがいい。
人も皆優しい人ばかりで、例えばパン屋の前に来ると「パンを食っていけ」っといってパンをくれる。 野菜を買うとおまけをしてくれる。 町の人は笑顔で、ウェルカムと言ってくれる。
改めてシリアのひとの良さを実感する。


夜の水車


昼の水車

http://www.youtube.com/watch?v=wRyY2yMtvnU
町中にあるカリスマパン屋さん

また滞在中に「天空の城ラピュタ」の、映画のモデルになっていると言われる、クラック・デ・バリエへ行った。
まずはハマからホムス移動して、ホムスからクラック・デ・バリエ行きのバスに乗り換えた。
城は思ったよりも大きくて、中は迷路の様になっている。 内部を散策していると、ドラクエをプレイしている気分になった。
また標高が高いところにあり、そこからの眺めは最高だ!














シリアには城跡が多い。 しかもその多くがあまり壊れずに残っている。 城マニア(?)にはお勧めです!!

  

Posted by キヨドコ at 21:51Comments(0)

2011年09月28日

破壊された町 クネイトラを歩く の巻

4月21日、パルミラからダマスカスへ向かった。(3H 120SP 約240円)
ダマスカスはシリアの首都で、文字通り大きな町だ。
ここでシリアビザの延長をして(35SP 約70円)、シリア最大のスーク(市場)を見学したり、ハマム(トルコ風呂)に行ったりして過ごした。






ハマムにて

その2日後、ゴラン高原にある「クネイトラ」という小さい町に向かった。 
この町は、1967年の第3時中東戦争時にイスラエルに占領され、74年にイスラエル軍が撤退する際、町を徹底的に破壊し多くの人を殺した。  戦争の悲惨さを伝えるために、修復せずにそのままに残している。  
そこはシリアの内務省でパーミット(許可書)をもらえれば、公認ガイド付きで訪れることができる。
負の遺跡と言われるが、これは見ないといけないものと思い行くことにした。
セルビスという乗り合いタクシーを3回乗り継いで、クネイトラについた。(2H 合計30SP 約60円)  
クネイトラは現在、国連監視下の非武装地帯だ。 入り口で警察のチェックを受け、公認ガイドと一緒に町を見学した。


クネイトラの入り口













ここは自然がいっぱいで、のんびりとしている小さな町だ。  ただほかの町と違うのは、町には誰も住んでいない。 ひっそりとしていて、そこらじゅうの建物が破壊されている。 旧ユーゴスラビアのサラエボやモスタルよりも、リアルに怖いと感じたのはそのせいか。
そのまま時間が止まった感じのする「死の町」だ。  

改めて戦争の悲惨さと、それに関するいろんな問題を考えさせられた。

  

Posted by キヨドコ at 21:20Comments(0)

2011年09月28日

砂嵐の町 タブリーズ の巻 

4月19日朝10時ラッカへバスで行き(85SP 約170円)、そこからタクシーで、「カラート・ジャーバル」 へ向かった。(往復300SP)
そこは人口で作られた湖にある城で、周りの景色とコラボしてとてもキレイだった!




カラート・ジャーバル城


その後、ラッカからデリゾール行きのバスに乗った。(2H→60SP) 
デリゾールはシリア北東にある町で、イラクの国境に近くにある、ユーフラテス川流域に広がる町だ。 


ユーフラテス川

季節が悪かったのか時々砂嵐があり、町の中は埃っぽかったが、それがこの町の雰囲気をかもし出していた。

デリゾール滞在3日目、セルビスとタクシーを乗り継いで、「ハラビーエ・セルビーエ」という、城跡へ向かった。


商店にいた子供達






ハラビーエ・セルビーエ城跡


1人で観光をしていたら、地元の高校生にあった。  話を聞くと、学校の先生と生徒で来ているらしい。 そこに招待され、パンや飲み物、シーシャ(水タバコ)をご馳走してもらった。
その先生と生徒は、英語の授業のクラスだったので、シリアや日本のことについて話し合った。 地元の人とこのような話ができるのは、すごく好きでとてもラッキーなことだと思う。  それはテレビや本で見たり聞いたりすることと違い、地元人の生の声が聞けるからだ。
シリアの人は、日本のコトが好きらしい。 まじめで勤勉だからだと言っていた。 電化製品や車やバイクが、壊れず長持ちすることがその理由らしい。  
逆にシリアはどうかって聞かれたので、日本にいた時のシリアのイメージ(テロリストを支援している危険国家)と、この国に来てそのイメージが変わったことを言った。  
ただある国のおかげで、テロリスト国家と呼ばれ、国際社会で孤立してしまっているだけだ。  「日本に帰ったら、このことをいろんな人に伝えて欲しい」と、お願いされた。
この国の人は、純で心の広い人が多い気がする。 その心だけは、変わらずいて欲しいと思う。


地元の高校生達と


その高校生達とは、デリゾール滞在中毎日遊んだ。  一緒にサッカーの試合を見に行ったり、家に招待されたり。 
この町は何があるってわけでもなかったが、人情にあふれている町でとてもいい経験ができた。


ご馳走になった家庭料理(ホムス等・・・) 

   

Posted by キヨドコ at 01:01Comments(0)

2011年09月27日

中東 突入!! の巻

4月6日夕方5時、ドイツのケルンボン空港から、ブルガリアの首都「ソフィア」に飛行機で向かった。この飛行機代は、治験の会社が負担してくれたので得しました!
ソフィアで1泊した後、夜行バスでイスタンブールに向かった。(35レバ 約3150円)イスタンブールに着き、シリアビザに必要なレターを取りに日本大使館へ。(即日発行 午前中申請→午後受け取り)レターを取得した次の日に、シリア大使館へ行きシリアビザをゲットした。(午前中申請→午後受け取り 20ユーロ 15日ビザ)










しばらくイスタンに滞在して、12日にアンタクヤ経由でシリア入国した。(バスで移動、55リラ 約4400円)
初めての中東は、アレッポという街に滞在。  ここは石鹸が有名な町であり、シリアでは2番目(?)に大きい街。 


有名なアレッポ石鹸

宿にチェックインして同じ部屋にいた、日本人のシンジさんとカナダ人のレスにあった。
シンジさんは、俺とは逆ルートで、エジプトから北上中。 これから行く予定のヨルダン、イスラエル、エジプトの情報を教えてくれた。
アレッポでは、そのシンジさん達といつもつるんでいた。  毎日同じような行動パターンで、朝はフルーツジュース(25sp 50円)、昼と夜はファラフェルという豆のコロッケ、ミントの葉、トマト、キュウリをトルティーヤでくるんだもの(15sp 30円)を2本食べた。


フルーツジュース

合間の時間は、スーク(市場)散策や、喫茶店でシーシャ(水タバコ)を吸いながらバックギャモン(ゲーム)をした。




シーシャしながらバックギャモンをする




スーク内にあるスパイスの山


地元のおっちゃんと・・・

同じような生活だったが、かなり面白く充実した日々をおくった。

めちゃくちゃ居心地がいい! それはシリアの人の温かさのおかげだ!!
いままでイスラム圏を旅していて、いろんな人に親切にしてもらっていたが、シリアの人のホスピタリティーは、今まで行った国の中で1番!!
日本にいるとシリア=テロリスト国家というイメージがあったが、実際行ってみるとぜんぜん違うイメージ。 例えば道に迷って尋ねると、教えてくれるばかりかそこまで連れて行ってくれる。 もちろん、その後のバクシーシはない。 セルビス(小型のバス)では、教えてくれるばかりか、料金まで払ってくれる。 もちろん、その時は「俺が払う」っていうが、お金を受け取ってくれない。   シリアを楽しんでくれって言って別れる。  街中で皆が、「ウェルカム」っていってくれて、街中の人が歓迎してくれる。
ほんとにいい人たちだ。 しばらく、シリアでゆっくりしようと思う。   

Posted by キヨドコ at 22:24Comments(0)

2011年09月27日

おら オランダの巻

治験の合間と治験後に、水車とチューリップの国[オランダ]に行ってきました。

ロッテンダムはあいにく雨だったが、美術館とおもしろ建物廻りをした。



そのなかでおもしろかったのが、ルービックマンションだ。
ひし形の形をしたはこをつなぎあわせたマンションで、外から見ると不思議な形をしているが、中に入ると普通のマンションだった。




外観




中は意外とオシャレ!


デンハーグでは、マイミクの SATOMMY さんの家にお世話になった。 SATOMMY さんとは、エイサーつながりで知り合ったひとで、オランダ人のダンナさんとくらしている。
いろいろ案内してもらって、温かいおもてなしを受けました。 SATOMMY さん、ありがとね!!






オレ「あそこ?」 銅像「うん、あそこ!」




100年以上続く薬屋さん


ユトレヒトでは、ミッフィー博物館に行きました。 この街は、ミッフィーの作者の人の出身地らしく、街なかにあった信号機(歩行者用)が、ミッフィーになっていました。
そこで初めて知ったのですが、ミッフィーとキティーちゃんは別物だったんですネ!!










横断歩道用の信号がミッフィー!!(駅前に1つだけしかない)


アムステルダムは、かなりごきげんでした。 マイミクの[投げっぱなしジャーマン]さんと、コーヒーショップや飾り窓見学していました。
もちろん、ゴッホ美術館にも行き、ゴッホの絵を堪能しました。 そこで1番気にいったのが、カラスの群れ飛ぶ麦畑 です。
また、ゴッホが書いた浮世絵も、なかなか味があってよかった。







時間がなくて、メインのチューリップと水車を見れなかったが、オランダを堪能できたので、次の機会にいきたいと思います。(彼女と)   

Posted by キヨドコ at 21:39Comments(0)

2011年09月27日

ドイツで初めての OO体験 の巻

はいさい、きよです。  
治験の合間の時間を利用して、初めてのサッカー観戦行ってきました。
ドイツには、ブンデスリーガというリーグ戦をやっています。(日本でいえばJリーグ)
今年から、小野さんがボーフムというチームに入りました。(2008年当時)
というわけで、そのボーフムのホームに行ってサッカー観戦しました。



ボーフムはブンデスリーグで中間にいるチーム。  その中での小野選手は中心的な人物で、観戦しているといろんな人に声をかけられる。
ドイツの人は結構まじめな人が多く、あまり陽気に声をかけてこないが、サッカーとなると人が変わったように陽気になる。(お酒が入っているせいもあるが・・・)


得点後のスタンド


もちろん、シャー君で観戦!!

しかも、ボーフムまでは電車で片道9ユーロするが、試合のチケットを持っていれば往復無料になる!!  しかも立ち見だと、11~13ユーロで買えるから電車代よりも安いことになる。

試合のレベルは高くて、みんな感心するほどうまい。(あたりまえか)
合計3回見に行って、成績は1勝2分けでまあまあの結果だった。


試合後は皆はしゃぐ

あと、平日の練習を見に行って、小野選手が帰る時にサインをもらった。
すごくいい人で、写真も一緒にとってもらい、サイン入りのプロマイドももらった。




快く写真を撮らせてもらった!

是非、今度のワールドカップの日本代表になってもらいたい。
  
  

Posted by キヨドコ at 21:11Comments(0)

2011年09月27日

ドイツでの 治験日記 の巻

2月18日、スペインのマドリッドから、バルセロナ経由でドイツのデュッセルドルフに着いた。 今回こちらに来たのは、治験のバイトをするためだ。
来る予定の無かったヨーロッパに長居してしまい、お金を使いすぎたので旅の資金稼ぎのために治験に参加する事にした。

治験とは、製薬会社が新薬を発売する前に、薬を服用後に副作用が出ないかどうかを調べる臨床実験である。
モルモット、犬、サル等で実験をして、最後に人間で実験をする。
聞こえは怖そうだが、すでにヨーロッパで販売されている薬を、アジア(主に日本)で販売するための臨床実験なので、ほとんど心配はない。
つまり、欧米人は服用して問題が無い薬を、日本人で試すという事だ。
したがって、参加できるのは日本人の男性のみ。
期間が1ヶ月で、報酬が2000ユーロ(約32万円)という、凄くいいバイトである!!
今回の治験は、5日間入院して退院。 そして3日後にまた入院というサイクルを、合計4回行うタイプだ。  
他の治験では、20日くらいずっと入院するタイプもあるらしく、それよりは気晴らしができてよかったと思う。

前置きが長くなりましたが、これから治験日記を初めまーす!!

投薬2日前、夕方までにクリニックに入院。
ここでは荷物の中身をチェックされる。 これは、外部から持ち込んだ飲食物と、薬が無いかを調べるためである。  
もしあれば、受付で預かってもらう。 もちろん、退院後に返却される。
その後、夕方6時に簡単な夕食を食べる。



その日は夜10時以降、翌朝まで絶食でいないといけない。(水はOK!!) 

翌朝8時に採尿があり、その後は夕方4時まで外出してもいい。 (昼食が出ないので自分で食べないといけない)
夕方4時に再び入院。 そこでは、採尿・アルコール呼気検査・問診がある。
その後5時に夕食。 そして夜9時にスナック(軽食)が出る。

スナック後は自由時間で、深夜0時が就寝。

投薬日、この日は朝6時45分までに治験室にきて、ベッドに横になっておく。



朝7時から、心電図、血圧を2回測定して、体温、問診がある。
異常がなければ、採血をして8時に投薬開始。
これはひとりおきに、2分間隔で飲んでいく。(飲み薬)
ベッドに横になり、20分後採血。

8時40分、血圧と脈拍測定後、この日3回目の採血。(このくらいから、注射が痛くなる)

9時、心電図、血圧測定、採血、問診。

9時半、血圧測定と採血。

10時、心電図、血圧測定と採血、問診。

11時、血圧測定と採血。

12時、体温と血圧測定、採血、問診があり、それから昼食。 (それまではベッドで横になってないといけない)

14時、血圧測定と採血。

15時、スナック(軽食)



16時、血圧測定、採血、問診。

17時、夕食



18時、血圧測定

20時、血圧測定、採血、問診。

21時、スナック(軽食)



0時、 採血と問診。

この日だけで採血が12回あり、腕は痛くなる。

翌日、朝8時に心電図、体温と血圧測定、採血、採尿、問診
その後朝食。



12時、昼食



15時、スナック(軽食)



17時、夕食



20時、血圧測定と採血

21時、スナック(軽食)



就寝

次の日、朝8時に問診と採血後、朝食を食べて退院。



これを4回繰り返す。
投薬日だけが忙しくて、注射が多いが、そのほかは結構ヒマで楽だった。
暇をつぶすために、テレビや漫画、書籍、PS2、ネット等がある。

4回目の投薬前だけ、標準的な和朝食がでる。 これは、ご飯、味噌汁、焼きシャケ、ほうれん草のおひたしがでて、めちゃくちゃ美味しかった。



あと採血は嫌なので、気を紛らわすために、コスプレしちゃいました。
思ったより好評でした。 1番人気はやっぱり、シャー君でした!!





  

Posted by キヨドコ at 00:32Comments(1)

2011年09月26日

山間の町シャウエンと 再びマラケシュ の巻

2月11日朝10時半、フェスからシャウエン行きのバスに乗った。
夕方4時にシャウエンに到着した。

シャウエンは山間にある小さな町で、家が白と青の2色の色に統一されていて、地中海沿岸部にいるような町並みだ。
メディナ(旧市街)は坂が多いけど、周りの景色がよくて苦にならない。




シャウエンの町並み

ただこの街の唯一の欠点は、ハシシ(マリファナ)の売人がやたら多いこと。 もともとモロッコにはおおいけど、その数が半端じゃない。 80%の確率で聞いてくる。しかも子供まで。 後で聞いた話で、ここシャウエンは産地として有名らしい。

町はずれの丘のうえにのぼると、ちょうど夕日が見えて、桜らしい花が咲いている。 聞くとアーモンドの花らしい。 (ほんとかどうかは分からないけど)夕暮れ時、スジ道では子供がサッカーをして遊んでいる。 しばらく眺めて夜になっていった。




アーモンドの花

2月12日朝7時、まだ外が暗い中マラケシュ行きのバスに乗った。 直接マラケシュに行くバスがなく、カサブランカ経由だったので、着いたのは夕方6時。 
バスの中で知り合った日本人のカップルと宿に行き、一緒に夕食を食べた。 マラケシュでは、友達になったモロッコ人に写真を渡したり、EARTH CAFE のオーナーから借りた地図を返したりした。   
んで、町歩きはジュラバを着用。  





これをきていると、みんなフレンドリーになる!!  難点はいろんな人に捕まって、なかなか思うように歩けないことだが、それがまた楽しい!
夜は屋台でいつも通りに、ハリラっていう豆のスープを飲んで、タジンっていう野菜と肉の煮込みを食べた。

次の日は久しぶりにゆっくりして10時に起床。 洗濯をして昼ごろ、革を洗う人のところを見学。  かなりの肉体労働できつそうだった。 







その日の夜はハリラを飲んだ後、前々から気になっていた羊の頭の屋台に行った。  顔と頭と脳みそが食べれるところで、それぞれが15DH(210円くらい)。  ちょっとくさいけど、味付けは塩味だけでかなりおいしかった。  


羊の頭の煮込み  

Posted by キヨドコ at 23:55Comments(0)

2011年09月26日

フェズで迷い子 楽しいな?! の巻

2月9日夜8時、エッサウィラからフェズ行きのバスに乗った。(120DH、1800えん)
マラケシュのバスターミナルで知り合った、おうしょう君と、メルズーガのバス停で知り合った上中さん(上海に住んで6年の、サラリーマンパッカー)の3人で宿をシェア。(一人あたり60DH、900円)


メディーナ(旧市街)は、迷路のように複雑で狭い路地から、急にロバが出てきたりしてなかなかおもしろかった。
でも、 街の中は活気があって歩くのが楽しい。
だが、旅行者に対する態度がむかつく。(外国人=金と思っている) 前々から聞いていたが、結構しつこくてちょっと悪質。 旅行者だから、仕方ないのもあるけど。。。




ラクダの頭


市場の風景

街を散策後、丘の上にある[マリーン朝の墓地]にいき、高台からフェスの街を眺めていた。 思ったよりもでかい街で、いい景色だった。


フェスの街並み




マリーン朝の墓地




子供たち

昼食を食べて宿に帰り、 皆でハマムにむかった。 トルコに比べると質素でキレイではなかったけど、地元人だけでローカル気分を味わえた。
宿に帰る途中コーラを買い、 宿の屋上のテラスでみんなで飲んだ。 本当はビールがよかったけど、モスリム圏だからしょうがない。


街歩きでは、リッサニで手に入れたジュラバっていう民族衣装きているから、地元の人の反応がいい。 ファイナルファンタジーの魔道師みたいな衣装。
夕食は初めてクスクス食べたけど、美味しくもなくまずくもなかった。
夜も高台に行って夜景を見ようと思ったけど、ひとけがあまりなかったからあきらめて、 宿に帰ってすぐに就寝。
朝早くから歩き回ったせいで、かなり疲れていたみたい。
フェスはなかなか面白い街だった。  

Posted by キヨドコ at 23:37Comments(0)

2011年09月26日

初アフリカは モロッコだった! の巻

2月3日マドリッドの空港で、 友だちのようちゃんを見送った。

このあとの予定では、ドイツのデユッセルドルフで、治験のバイト(前回は選 考に落ちてしまった)を受けるつもりだったが、それが1週間も延期になってしまった。 それが始まるまで、2週間近くある。 それまでスペインにいても良かったが、 思い切ってモロッコに行くことにした。
バスで行くつもりだったが、航空チケット(EASY JET)が安く取れたので飛行機で向かった。(往復で160ユーロ、約28000円)

2月5日夕方5時、マドリッドの空港からモロッコのマラケシュに向かった。

時差の関係で、マラケシュに着いたのが現地時間で9時。
よく考えると、これが初アフリカである!!
飛行機だったのであっけなかった。
ひとまずメデーナと呼ばれる旧市 街へ乗合タクシーで向かった。 交渉をして30DH(約450円)で成立したが、お釣りをうけとる時に、ちゃんと 確 認しなかったためにごまかされ、結局40DH払ったことになった。
ぼったくられたけど不思議とその時は、怒りよりも懐かしさで、1人ニヤニヤしていた。

何件か安宿をまわり、狭いが安くてきれいな部屋に決めた。(1泊50DH約750円) ヨーロッパから来たせいか、物価が安くかんじられる。

ふと気きづいたが、モロッコといえばアフリカである。 だが、そんな感じがしない。
ヨーロッパに近いせいか、欧米人のツーリストがよく目立つ。 しかもあまり黒人がいないので、ますますイメージと違う。 なんか、アジアに戻ってきた気分である。

夕食を食べに、フ ナ広場に向かった。
フ ナ広場は旧市 街の中心地で、昼間は
大道芸が多くいて、夜はたくさんの屋台が並ぶ。
まずはハリラという、豆と野菜を煮込んだスープ(モロッコでいう味噌汁)を飲んだ。 豆のだしが聞いていてなかなかおいしい。しかも3DH(約45円)と安い。これははまりそうだ。 2件目の店で、タジンという、肉と野菜を煮込んだものを食べた。肉は羊にした。 これは、いろんな香辛料が使われていて、味を表現するのは難しいが、カレーよりはしつこくない味だった。


店の人達と・・・


カタツムリ


夜のフナ広場

2月7日、バスで1日かけてマラケシュから、サハラ砂漠の入り口にある町、メルズーガに移動した。
宿から歩いて30分の所に砂丘がある。
サハラ砂漠だ!


奥にあるのがサハラ砂漠


野生(?)のラクダ達



砂丘



サメIN砂漠

そこで一泊二日の砂漠ツアーに参加した。(350DH約4900円)
夕方5時にラクダに乗って、砂漠を移動。
今回はショートトリップだったから、ラクダに乗るのも1時間半だけ。
だけど、その位がちょうどいい。 視界は馬よりも高くて見晴らしいいけど、しばらく乗っていると股関節が痛くなって大変だった。
あまり、ラクダは乗り心地良くなかった。








ラクダに無視されちゃった

宿につき夕飯ができるまで、夕日を見にいったが、 すでに夕日は終わっていた、残念(><)
多分、もう少し値段の高いツアーに参加すれば、もっと良かったかもしれない。

夕飯後、近くの砂丘に上って星空観察。
これがすごかった!!
今までに見たことのないくらいの星空で、流れ星がいっぱい!!
2時間くらい見ていたけど、めっちゃ寒くなったからテントに戻って就寝。


宵のうち


翌朝、頑張って6時に起きて砂丘に上り、朝日待機。
1時間後の7時に朝日が出た。 めっちゃ暖かくて、とても美しかった。 周りが砂漠の砂丘で、そのシチュエーションがまた最高!!。








砂漠にね、猫??

その後、甲子園球児のように砂漠の砂を拾った。

朝食を食べ、ラクダに乗って宿に戻った。








ガイドのにーちゃんと・・・

その後、車で近くの町メルズーガまで移動した。  

Posted by キヨドコ at 23:19Comments(0)

2011年09月26日

マドリッド&トレド の巻

1月29日23時、バレンシアからマドリッド行きのバ スにのった。(25ユーロ)
翌朝5時、マドリッドについた。 バ スターミナルの待合室で、明るくなるまで時間をつぶし、地下鉄で中心地近くにある宿にチェックインした。
今回マドリッドに来たのは、旅仲間のようちゃんが日本に帰るので見送るのと、ピ カソの大作 ゲルニカ を見るためである。

軽く市内観光をして、ゲルニカを展示しているソフィア美術館へ向かった。
チケット売り場で係員が何かを言っている。
よく聞いてみると、今は ゲルニカ を展示してないとのこと。 改装中らしい。 ショックである!!
このためにきたと言っていいほど、この絵が見たかったのに。 シーズンオフ(冬のヨーロッパ)は、気をつけた方がいいですね。
だけど一つ朗報があって、マドリッドにはプラド美術館という有名な美術館があり、その美術館が、毎日夕方6時から2時間の間無料開放をしている。
もちろん、無料になる6時まで時間をつぶしてタダで美術館に入った。

プラド美術館には、ゴヤの 裸のマハ と、 着衣のマハ がある。 本物を見るのは初めてだ。
またピカソがよく描いていた、ベラスケスの 宮廷の侍女たち や、個人的に好きな画家 エルグレコ の絵を見て楽しんだ。

芸術鑑賞後、おなかが減ったので夕食を食べにレストランへ向かった。
いろいろリサーチして、美味しくて 値段が程々の店に行った。 その店は、魚介類を中心に扱っているレストランで、バルセロナの市場までとはいわないが、新鮮な食材を使っている。
そこでは、タラのフリットとイカスミパエリアを食べた。 タラは身がフワッとして柔らかく、ほのかに甘さがあり、上品な味わい。イカスミパエリアは、今回の旅で食べた中でも、トップ3に入るんじゃないかと思うくらいの美味しさだった。
それまでバルセロナやバレンシアで、何度かパエリアを食べていたが、それよりもおいしかった。
魚介類や豚肉のダシと、イカスミのダシが複雑に絡み合い、お互いに旨味をダシ合っている。
それは、今までに味わったことのないくらいの深みで、旨さを超越していた!!



激旨のイカ墨パエリア

次の日、電車でマドリッド近郊の町 トレドへ向かった。(往復14ユーロ)
トレドの町(旧市 街)は世界遺産に登録されている町で、 丘のうえに旧市 街が広がっている。 そのせいか道は狭くて、やたら坂が多かった。 だが、そのすじ道を歩いていると、200年 前の時代に、タイムトリップした感覚になっておもしろい!


旧市街の入り口にある橋



大聖堂

大聖堂や美術館を散策していたら、 前から賑やかな集団に会った。
それは仮装をしている子供たちで、約20人くらいの集団。 たぶん、何かのお祭りがあった様子 。
仮装といえば、自分自身も好きで、この旅にも気ぐるみを持ってきている。 だが、この時は何も持っていなくて、仮装対決はできなかった(><) 残念!!


かわいい子供の仮装

トレドの町には夕暮れ時までいて、きれいな夕日を眺めることができた。

  

Posted by キヨドコ at 21:40Comments(0)

2011年09月26日

バレンシアで オレンジ レンジ? の巻

1月27日お昼2時半、ようちゃんと一緒にバレンシア行きのバスに乗った。(24ユーロ約3900円)
南米行きをキャンセルした彼女と、しばらくスペインで食べまくることにしたからである。
夕方バレンシアにつき、荷物を宿において夕食を食べにバル(日本でいう居酒屋)に向かった。

このバルはピンチョス専門店で、カウンターには数多くのピンチョスが並んでいた。 ピンチョスというのは、バケットの上にいろんな具が乗っていて、日本でいう寿司である。 上にのる具は、アンチョビ、 生ハム 、サーモン、 ホワイトアスパラガス 、 ソーセージ 、チーズ 等 である。 手軽に味わえて、しかもボリュームがある。 しかも1個1ユーロからである。




バルセロナでは、タパス小皿料理)ばっかり食べていて、ピンチョスは初めてだ。
将来、スペインのバル(居酒屋)みたいなお店を出したいので、このピンチョスは食べてみたかったものの一つだ。 勉強も兼ねて何個も食べた。 カニのツメ のフライがのったもの、クリームチーズと生ハ ム 、アンチョビとチーズ 、 ホワイトアスパラガスとオリーブ 、 珍しいものでは、クリームチーズとオレンジにマーマレードのジャムがのっていた。 意表をつかれたが、結構おいしくて、いいデザートになった。





バレンシアはバルセロナよりも南にあって、気候は 温暖で少し湿気があり、過ごしやすい街だ。
建物もかわいい作りで、お伽の国に来たような気分になれる。 チェコのプラハよりもお伽チックだった。
街散策では、バレンシア名物のオレンジを食べながらの観光。 ソフトボールくらいの大きさのオレンジが、1個40セント(約65円)で、 身が ぎっしり入っているにもかかわらず、とっても甘くしかもジューシー!! 温州 みかんよりもである!! 水を飲む代わりにオレンジで、水分補給をしていた。



昼の旧市街





夜の街並み

旧市街にある大聖堂に、聖杯が展示されていた。 この聖杯はキリストの、最後の晩餐で使われたらしい。
また塔の上にものぼれて、うえからはバレンシアの街並みが一望できた。

聖杯


バレンシアの街並み
  

Posted by キヨドコ at 21:16Comments(0)

2011年09月26日

スペイン食べ歩き の巻

1月17日朝6時、再びバルセロナに来た。 旅仲間のようちゃんが、バルセロナに滞在していたのと、もっとスペイン料理を堪能したくて戻ってきた。 宿にチェックイン後、ようちゃんと会って、そのままピカソ美術館へ向かった。 前回来た時は、 休館していていけなかった。
ピカソ博物館といわれるだけあって、ピカソの幼少時代から晩年にかけての作品が、数多く展示されていた。
少年時代に描いた絵は、すでに大人顔負けな位のできで、天才といわれたゆえんを感じた。 青年期のある時から、次第に絵が壊れはじめてきて、晩年の作品はこれぞピカソ!!っていう位の不思議な絵だった。
また晩年は、陶芸に絵を書いたりしてたらしく、 皿の中に書かれたピカソの作品は、初めて見てとても新 鮮だった。
気がつくと3時間もたっていた。

ちょっと遅い昼食を、地元の人の集まるバルでとった。 サングリアという、赤ワインとオレンジジュースで割った飲み物に、トルティーヤ(ジャガイモ入りの卵焼き)、モローという豚の皮を高温で揚げたつまみ(シンプルな塩味でおいしい!!)、ボンバピカンテ(ジャガイモのコロッケの中に、 擦り下ろしたニンニクが入っていて美味) を食べたかなり腹いっぱい食べたが、 食後のエスプレッソを飲むと胃がスッキリとしてくる。 これは癖になりそうだ!!


トルティーヤ(スペイン卵焼き)

次の日は中央市場のなかにある、オープンキッチンのレストランで新 鮮な魚介類を食べた。 タコのガルシア風和え(新 鮮なタコで半生でおいしかった)、ザリガニみたいなハサミを持った海 老(とても甘くてエビのダシがきいている)、細い竹のような形をした貝(身は小さいがシャッキとしていて、めっちゃ甘い)を食べた。 ちょっと値が張るが、期待以上のおいしいものが出てくるのでかなり満足した。
結局この店には、2回通った。 2回目の時に、アンコウの 塩焼を食べた。 初めて食べるアンコウだったが、中の身がプリっぷりで半生。 焼いた香ばしさと、生の旨味の甘さが合わさって、今までに経験のしたことのない味(旨み)だった!!


たこのガルシア風


竹のような貝殻の貝


大きいはさみを持った海老(めっちゃおいしい!)


アンコウの塩焼き


デザートの自家製プリン

あとスペインの代表的な食べ物パエリア。 日本で何度か食べたことがあって、程々のうまさだと思っていたが、ここで食べるパエリアは全然違っていた!! 小さなレストランで食べたパエリアは、今まで自分が持っていたパエリア感を覆すほどだった!!!
まず米がパサパサしていなくて、リゾットのようだった。 そこにはエビ、イ カ、タコ、ムール貝、豚肉、鶏肉、野菜のダシが複雑に絡み合っていて、とても奥深い味がした。 しかも互いの素材がケンカせず、うまく手を取り合って出した美味さ!!!
その中でも1番光っていたのはイカ君でした。 あいつはうまくみんなのダシをとりいれていて、しかも自分のダシと合体していた。 あの旨味のハーモニーはすごい!! イ カ君 を正直みくびっていました。 これからはイカ様って呼ぶようにします。


パエリア

またある時、モンジュイックの丘にワインとチーズを持っていき、バルセロナのきれいな街を見ながら,景 色とワインに酔ったりしてた。
こういった感じで、毎日何をすることでもなかったが、毎日おいしいものを食べて、ぜいたくな日を過ごしていた。


モンジュイックの丘からの眺め


カサ・ミラの屋上(ガウディーが設計したマンション)

スペイン最高!!
  

Posted by キヨドコ at 18:32Comments(0)

2011年09月26日

治験と パリじゃんぬ ? ? の巻

1月16日昼3時、バルセロナ郊外 にあるジローナ空港から、ド イツのデユッセルドルフ行きの飛行機に乗った。(40ユーロ 約6400円)
治験 の主催している会社が契約しているホテルで就寝。 翌日チェックアウトして、クリニックに移動した。 ここで2泊して健康診断後、この治験に参加できるかがわかる。今回は9人中4人しか受からない。 確率は44%。
結果は見事に落ちちゃった。 最終判断では、体重の重い順だったらしい。 まっ仕方ない。 だがちょうどその頃、俺の弟が仕事(ダンスのP V 撮 影とテレビ出演)でパリ来るとのメールをもらっていたので、いい機会なので会うことにした。
ちなみに今回の治験で落ちちゃったが、協力金として120ユーロと交通費(上限100ユーロ)もらえたので、パリまでの交通費は無料になった。
1月18日朝6時フランスの首都パリについた。 話はそれるが中学生の頃、パリという国が存在しないことに驚いたのを思い出した。
地下鉄で宿に移動して、チェックイン後街散策した。
まずは弟と連絡を取りたかったので、ネットカフェを探していたが見つからない。
市内観光しながら探すことにして、まずは凱旋門に向かった。
朝8時前という時間からか、通勤ラッシュになっていた。 パリでは歩行者は信号を守らないのが、他のヨーロッパ諸国と違うなっとおもった。
車はどんな小道でも歩行者優先にするが、歩行者は信号が赤でも堂々と渡る。 初めはきちんと信号を守っていたが、だんだんなれていき、ほかの歩行者と同じように隙あれば渡るスタイルになってしまった。 周りに流されるのは怖い。
凱旋門観光後、パリのシンボルといわれるエッフェル塔を見に行った。 テレビや写真で見るような感じの塔で、そこまで感動はなかった。 上にも昇れるらしいが、入場料が高かったのでやめた。 ところでここパリは、今まで回ったヨーロッパの中で1番物価が高かった。 ケバブが4ユーロ、販売機のコーラが2ユーロといった感じ。 そんなわけでフランスパンをかじりながら観光。
エッフェル塔観光後、有名なシャンゼリゼ通りを歩いた。 いろんなブランド品の店が多く並び、買い物でも有名な場所というのを実感した。 もちろん何も買わなかった。
次に向かったのは世界的に有名な[ルーブル美術館]。 中はとても広く、1日では見てまわれない程らしい。 あんまりパリには滞在しない予定だったので、ピンホイントだけ見て回ることにした。 1番の目的はあの有名なモナリザである。 絵画のコーナーだけ見たがその数は多く、ある程度とばしながら 鑑賞した。 絵画はキリスト系の宗教がが多かった。
ようやくモナリザにたどり着いた。 1番有名だけあって、そこには多くの人でごった返していた。 半径5メートル以内には、入れないようにロープが張っていて、警備の人がついている。 しかもその絵はあんまり大きくないので、よく鑑賞ができなくて残念だった。
ルーブル美術館の後、ようやくネットカフェを見つけた。 しかしその値段がめちゃくちゃ高かった。 1時間4ユーロ(約640円)である!! 高いがほかにないので仕方ない。 しかも弟からのメールは届いてなかった。(後日メールが届いていたが、同じようにネットカフェを見つけられなかったらしい)
ここまで物価の高いところにはいたことがなかったので、怖くなり次の日に出ることにした。
翌日電車とバスの値段を調べたあと、サントリーニ島にあるレストランでエスカルゴを食べた。 パリではフランスパンだけだったので、ひとつ位おいしいものが食べてもいいだろうと、自分に言い聞かせて久しぶりの贅沢 ! ! 白ワイン(デキャンタ)とエスカルゴで15 ユーロ(2500円)。  

パリは物価が高いので、またバルセロナに向かうことにした。



凱旋門


エッフェル塔


シャンゼリゼ通り


モナリザ


エスカルゴ(13ユーロ)
  

Posted by キヨドコ at 18:13Comments(0)

2011年09月24日

情熱の国 スペインの 甘いワナ の巻

1月5日昼3時、ポーランドのクラクフから長距離バスに乗って、ドイツのデユッセルドルフに向かった。(550PN 約 7500円)
デユッセルドルフに向かったのは、日本人男性対象の治験のバイトがあったからである。 ヨーロッパ内からの移動費を出してもらえるので、デユッセルドルフまでのバス代はただになった。
2日後、採血 などの健康診断を受け、治験に参加できるかの結果が出るまでの間、約1週間を利用して、スペインのバルセロナにむかった。

今回バルセロナに向かったのは、この旅で知り合った、よーこちゃんとさーやーに会うためだ!!
彼女らとは、キルギスタンでルンペラーズというユニットを組んでいて、主な活動はテント泊と酒に飲まれることである。(酒に飲まれていたのは俺だけだが)

ライアンエアーという航空会社のチケットが、バスよりも安く取れたので久しぶりに飛行機を使った。 情熱の国スペインということで、情熱的なキグルミ、エルモを着ていった。 スチュワーデスは苦笑いで対応していた。。。
バルセロナに到着して、 みんなと合流後、早速スペイン名物のバル(日本でいう居酒屋)に向かった。
赤ワインで再会を宿して乾杯後、タラとトマトの蒸し物、ナマハムを食べた。
次の日、安い宿に移動後、市内観光をした。
バルセロナは暖かく、この時期でも15度もある。 空気は乾燥していて、過ごしやすい気候だ。 この日は、イベリコ ベジョータという、最高級生ハ ム (100グラム15ユーロ) チーズ、ワインを買い、 宿バルをした。 生ハムはめちゃくちゃ美味しくて、油どころか肉までも口の中でとろける!! 最高級なだけある生ハムだった。

1月11日、この日はまたも宿を移動。(空きベッド がなかったため)
バルセロナで、毎日おいしいものを食べていたせいか、かなり気が緩んでいた。 宿を移動して何やかんやしていて、気がついたらポケットに入れていたはずのカメラがなくなっていた(><)
ソフィアで盗難にあって以来、持物には気をつけていたはずだったが、またしてもとられた。 しかも今回はいつなくなったのかも分からない。 宿でベットに置いていた時か、地下鉄ですられたか。

ショックで落ち込んでいたが、日本に帰るさーやーが、帰国後に返してくれていいから、っとのことで自分のカメラを貸してくれた!!!

さーやー ありがとう!! 日本に帰ったら 新しいカメラをプレゼントするからさー!!
久しぶりのピンチだったが,無事乗り越えられた。

気が緩んでいたので、気を引き締めて行動をしたいと思う。

(それで、ポーランドの写真がありません。 すいません!!)

次の日さーやーを見送り、気を取り直して、よーちゃんとサクラダファミリア見学に行った。
サクラダファミリアは、あのガウディが生涯をかけて建築したといわれる大聖堂。 100年以上たった今でさえ、まだ建築途中だ。 あと、200年くらいかかるのだろうか、詳しく調べていないからわからないが、めちゃくちゃ神秘的である。
おれは、ルパンで見て初めて知った。
それを見に行ったが、砂場で作った城みたいな形をしていて、異様な形をしている。 周りには大型クレーンがあり、未だ建設している。
なかも建設中の工事現場みたいで、柱や装飾品を作っている。
完成を見たいが、生きている間では無理だろう。 数年後にまた来て、その変わりようを見てみたいと思った。

サクラダファミリア観光後、ようちゃんのオススメの店で、生ハムメロンを食べた。 日本で食べる生ハムメロンを想像していたが、 食べた途端、衝撃が身体の中を走った。
まず生ハムが、口に中で取ろけて塩気を感じたころ、メロンの甘くてジューシーな果汁がドッキング!!
言葉では表せられないおいしさが、口の中に広がった!!
また、ワインの付け合せのオリーブがめっちゃ美味しく、オリーブの常識を打ち破ってくれた。

色々あったが、 スペイン最高!!!


あの生ハムメロン(イベリコハム)


サクラダ ファミリア


サクラダ ファミリア内部  

Posted by キヨドコ at 04:18Comments(0)

2011年09月24日

雪のアウシュビッツ の巻

1月2日朝8時、ベルリンのアンドレアの家から駅へ向かった。(この日から新しい仕事だったが、快く泊めてくれた。 ありがとう、アンドレア!!)

ベルリン中央駅からポーランドのクラクフへむかった。(52、6ユーロ約10時間)
クラクフはめちゃくちゃ寒くて、ついた時マイナス5度で、道路には氷が張っていて、気をつけて歩かなければならない。

その日はゆっくりして、次の日あの有名なアウシュビッツ収容所へ向かった。
知っていると思うが、アウシュビッツは第2次世界対戦中、ナチス率いるドイツ兵が、ユダヤ人 、ポーランド人を中心に過酷労働や、
虐 殺を行ったところである。 映画、シンドラーのリストにも出てきている所だ。

まずは、アウシュビッツ収容所1号室を見学。 思ったより中は広く、28の収容所と3つの死体焼却所、また壊されてしまったがガ ス室もあった。 その展示室には、収容された靴やカバン、くしなどが山積みになっていたり、悲惨な写真が展示されていて、目茶苦茶へこんだ。 そのなかでも、髪の毛が山積みのところと、 死のブロック と呼ばれている11号館の壁(主にここで銃 殺されていた)は、
なんともいえなかった。
今回、旧ユーゴスラビアの内戦跡を見てきたが、これよりリアルで悲惨なものはなかった。
1号館を見たあと、2号館へ向かうつもりだったが、あまりのショックで断念した。

次の日は、クラクフの旧市 街を見学。 昔のものが残されていて、特によかったのが、聖マリア大聖堂だった。

もう少しクラクフに居たかったが、あまりにも寒かったのでドイツへ向かうことにした。

写真は諸都合にて乗せられません。 詳細は次のブログにて。  

Posted by キヨドコ at 04:11Comments(0)