てぃーだブログ › キヨのなんくる旅日記

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2011年09月24日

ドイツでの 年越し の巻

かなり時差がありますが、年明けの気分になって読んでください。


12月30日昼2時、 ウ ェンツ家族とアンドレア、その友だちの家族、総勢15人でベルリンの北東にある BAD FREIENWALDE ( バ ッド フェインウ゛ァイデ)という、長い名前の街に向かった。 この街は、ポーランドの国境に近い街で、あまり大きくないが自然がありいい雰囲気の町。
ユースホテルにとまり、みんなでトシコシ&シンネンを迎えた。
運がいいことにユースホテルには、ほかの人は宿泊しておらず、貸し切り状態だ。
その日の夜は、インド料理レストランで夕食後、宿に戻り、グールワイン(ホットワイン)を作って飲んだ。 この地方名産のアップルワインをあたたため、それにシナモン、砂糖など入れ温めれば出来上がり。 外は雪が降るほど寒い中、みんなで焚火を囲んで飲むホットワインの味は格別だった。
12月31日大晦日、みんなで街を観光後、宿に戻り夕食作り。
シンネンを迎える夕食で、豪華な夕食だった。 生野菜、ソーセージ、チーズ、パン、フルーツ、ケーキ、ビール、ワイン、ETC、、、たくさん食べたがなくならないほどたくさんあった。
そしてシンネンを迎えた。 ここドイツでは、シンネンのカウントダウン後、みんなで花火をする習慣があって、半端ないくらいの量をする。
この時期にしか花火ができないらしく、子供よりも大人が楽しんでいるように見えた。
ベルリンなどの大きいとしでは、周りを歩くのが危険な位、花火が飛び交うらしい。
まるで中国のようである。
久しぶりの花火を堪能した後、すぐに寝てしまった。(お酒を飲み過ぎて飲まれてました)

パーティー代や、お酒代、その他もろもろかかったお金を割る時、 旅中だから とのことで、 皆からご馳走になった。
本当にアリガトウございます。 いつか日本に来ることがあったら、こちらがご馳走します。 ありがとうね。 みんなの気持ちが心 暖かかった。

今年はもっといい年にするぞ!! っと思いながら、夢の中に落ちていった.

YH近くの湖


焚き火を囲みながらの年越し


みんなと・・・


  

Posted by キヨドコ at 04:07Comments(0)

2011年09月24日

久しぶりの再会と ベルリンの街 の巻

12月28日お昼、列車でケンミッツに向かった。
ここで千恵子ちゃんと、2年半ぶりの再会をした。 千恵子ちゃんとは、ニュージーランドで会った。 彼女はワーホリの時に出会った、ウェンツと結婚をして、子供のカリンちゃんと3人で暮らしている。
驚いたのが、カリンちゃんと話をする時、千恵子ちゃんは日本語で、ウェンツはドイツ語で会話。 二人そろっての会話は英語と徹底していて、カリンちゃんは3ヶ国語を聞きわけている!! 将来は秀才になると思う。 しかもめっちゃかわいい。

そのウェンツ家にお世話になり、次の日皆で、ウェンツのともだちのアンドレアスが住んでいる、ベルリンに向かった。

アンダレアスの家に着くと、家に快く招待してくれた。
その晩、俺はナス味噌炒めをつくり、アンダレアスは、きゅうりのスールを作ってみんなで食べた。 
特に、きゅうりのスープがめちゃくちゃうまかった。

次の日、みんなでベルリン観光をした。 
「ベルリンといったら」っということで、まずは壁ミュージアムへ向かった。
そこには10メートルくらいの壁が、当時のまま残されていて、壁にまつわる写真や、ビデオ上映があった。
次に国会議事堂を見に行ったが、入り口の前には長蛇の列。
どうしようかーって迷っていたら、係員の人がこちらに来て何かを言っている。 カリンちゃんが一緒だったので、待たないで中に入れるらしい。 ドイツは7歳までの子供は、公共施設に入るのに優遇されるらしい。 しかも連れの人も含まれる!さすがドイツだ!
係員の案内で、通用口から中に入れてくれた。 
国会議事堂の中を見れるのは、最上階にある展望台だけだが、眺めがよくてベルリンの町が一望できる。 しかも建物のつくりが、変わっていてガラス張りの球体になっている。 外から見ても面白いが、中から見ても面白かった。
帰りに、名物の「カリーウォルト」を食べた。
これは、一口大に切ったソーセージに、ケチャップとカレーパウダーをかけたもの。 それにパンがつく。 ケチャップの甘さと、カレーパウダーの辛さが合わさって、それにソーセージの旨みがドッキング!! めっちゃうまかった。


ウェンツ、千恵子、カリン、アンドレア



ベルリンの壁


ケンミッツ城  

Posted by キヨドコ at 03:59Comments(0)

2011年09月24日

歴史のある街 ドレスデン の巻

12月27日、プラハからドイツのドレスデンへ向かった。(555CZK約3600円)
予約をしていた宿でチェックインをしたら、サンシンを持っているのに気付き[夜弾いてくれたら1泊無料になるよ!]
とのこと。 もちろん、快く了解した。
ちなみに、一緒にいたサイクリストの道くんは、従業員の兄ちゃんと意気投合して(兄ちゃんも元、サイクリスト!)チェックアウト前に10ユーロもらっていた。
すごく親切にしてもらった宿だった。ドレスデンに行くことがあれば、[LOLLISHOMESTAY] に泊まってネ!
www.lollishome.de

チェックイン後、市内観光&ホットドックを食べた。 ソーセージの本場だけあって、めっちゃうまい!! しかも、いろんなタイプのソーセージを選べる。
今回は白ソーセージを選んだ。
中にはパセリが入っていて、肉汁を爽やかに中和している!! しかもパンもうまい。 ドイツやばいです。
毎日ソーセージ食べるかも??

食べ物の話はこのくらいにしておいて、ドレスデンは大きい街の割には、昔の建造物が多く残っていてなかなかおもしろい。
歴史のある街並みでした。


ごっつい足(毛)のした馬


旧市街


夜景  

Posted by キヨドコ at 03:46Comments(0)

2011年09月24日

プラハで ビールと夜景に酔う の巻

12月21日朝8時、バスでチェコの首都プラハに向かった。(19ユーロ、4h)
宿に荷物を置き、サンシン片手に有名なカレル橋にいった。 この橋は、旧市 街と王宮を結ぶ道にあり、いつでも大勢の人でごった返している。
橋の中央付近でいい場所を見つけ、流しを始めた。
やり始めて5分後、日本人のツアー客が現れサンシンを聞き始めた。
そのなかのおばさま旅行者が、なんと10ユーロ(約1700円)もくれた。(ありがとう!!)
今日は調子いいなぁって思っていたのもつかの間、その5分後に警察がきて、ここでやるな!! とのこと。 数メートル先にはオルゴール鳴らしてい る、流しのおっちゃんもいるが俺にだけ注意。 なんで?? と思ったが、ややこしくなりそうだったのでそのまま退散。

その日は稼いだお金で、プラハ名物のピルスナービアーを飲んだ。 バーで飲んで20KC(約120円)。 チェコのビールは世界的に有名どころで、あのバドワイザーの元祖ともいわれている。 その味は、とてもクリーミーで柔らかい。 安くてそのうえ美味い! (チェコに滞在中毎日飲んでいた)

次の日、自転車で旅をしているミチ君と合流! ミチ君とは、イスタンブール、ブタペスト、ウィーンで会っていて、ドイツまで同じルートなのでよく会う。 その日は再会を祝って、一緒に豚肉でラフティを作った。 2時間かかったが油の部分が、トロトロになっていてめっちゃ美味かった。

プラハはクリスマスが近づいていて、 街のデコレーションがキレイ。
特に夜景の街はすごくて、おとぎの国にいるようだった。

毎日夜の街をみまわって、ビール飲んだリ、ホットドッグ食べたりした。
またダークビアー(黒ビール)も、街中のレストランで飲んだ。 その味は今まで飲んだことのない位おいしかった。 ダークビアーは、日本でギネスビールを飲んだことがある程度で、あと味があまり好きじゃなかったが、ここのビールは、あと味がスッキリしていてほのかに甘い。 それに超 やわらかい!! ( ビール好きな人は、絶対にチェコにいったほうがいい!!)

クリスマスもプラハで過ごしたが、日本みたいにお祭騒ぎはしてなかった。 各家庭でひっそりと過ごすのが、本場のクリスマスの過ごし方らしい。



カレル橋と王宮


ダークビアー


旧市 街の夜景
  

Posted by キヨドコ at 03:39Comments(0)

2011年09月22日

ウィーンで 芸術にひたる!! の巻

12月16日お昼3時半、約3週間いたブタペストからウィーンへ向かった。
(19ユーロ、約3200円 バ ス4時間)
宿にチェックイン後、街を散策した。
めちゃくちゃオシャレな街並みで、いままでの街との雰囲気が違った。
それと同じく、物価も上昇している。 例えばスタバのコーヒーが、1番小さいので4ユーロ!!(680円) マックのセットメニューなんて、1000円以上する。 日本よりも高い!! 宿も高く、ドミトリーで14ユーロ。
あらゆる面で高すぎる。
だが、オレにはサンシンという強い味方がいる。 ユーロでもらえればかなり稼げる!! 外はマイナス2度だが、早速流しを 始めた。
流しを始めて10分後、警官の登場!
[ここではやったらいけない!] と、注意をされたので 中止した。
次の日は、クリスマスマーケットの入口でやった。 かなり寒く、30分しかできなかったが、8ユーロゲット!! (次の日は24ユーロゲットした!!) いい感じで稼げるがめちゃくちゃ寒いのと、あんまり観光ができないので、しばらく封印して観光を行った。

ウィーンは音楽と芸術の都 、と呼ばれているのでそれをみることにした。 早速最近のマイブームの、オペラ鑑賞をした。
開演80分前から売られている、立ち見チケット3.5ユーロを購入!
題目は[BORIS GODUNOW]。 立ち見の席、一つ一つに専用の字幕付。
ドイツ語と英語から選べる。 英語を選んでみたが、相変わらず意味がわからなかった(><) 多分、ロシア革命のことを演じていたと思う。

また別の日には、ベルブドール宮殿にある美術館もみた。
ここの美術館はふたつあり、そのうち一つは宮殿のなかにある。
建物自体もオシャレですごいが、それにも負けて劣らず展示品のレベルがすごい!! 地元オーストリアの画家をはじめ、ゴ ッ ホ、ピカッソ、ゴーギャン、モネ、クリムトの絵が飾られている!!
普段あんまり美術鑑賞しないが、それでもすごく興奮するくらいすごい展示品だった。 1番気にいったのが、クリムトの[THE KISS] という絵だった。 タテ1.5メートルの大きな絵で見ていると、絵の中に吸い込まれそうな感じになる。 初めて経験した感覚だった。

シェーンブルーン宮殿や、シュテファン寺院もすごかった。

そしてここウィーンでうまれた、チョコレートケーキの大様[ザッハトルテ]も食べた。 しかも本家のカフェザッハで。
そこは、今まで入ったことのないくらい高級なカフェで、まず案内されるのが、コート類を預けるクロック?のカウンター。(1ユーロかかる)
その後にようやく席に案内される。 注文したのが、ザッハトルテ(4.9ユーロ)と、カップチーノ(4ユーロ)。
コーヒーとザッハトルテがきて、まずは記念撮影。その後、本家のザッハトルテをたべた。
が、ふつうのチョコレートケーキ。 すこし、オレンジピューレがきき過ぎている味だ。
次にケーキの隣についている、ホイップクリームと一緒に食べてみた。





すると、不思議なことにケーキがとろけたのである! なんでもないケーキと思っていたが、そのホイップクリームと一緒に食べるだけで大変身をしたのである!!
まるで、目の前でマジックをしてもらった感じで、 久しぶりに衝撃をうけた。
やはり本場はすごい!!

しばらくケーキを堪能し、チップ代を含め一人10ユーロ払った。
店にいた時間は30分くらいで、10ユーロを使うという贅沢をしたが、 心が満足していたので心 地よかった。

だけど、ウィーンはすごく高い。 バックパッカーには、かなりきつい所だった。 次回はもう少し大人になってから、 訪れたいと思った。



ベルベドール宮殿


城跡の美術館


夜のウィーン街並み


本家カフェザッハのザッハトルテ  

Posted by キヨドコ at 06:39Comments(0)

2011年09月22日

ブタペストの 生活日記 PART2 の巻

あいかわらずブタペストにいます。
盗難保険の書類も送り、移動してもよかったが、来月ドイツで治験のバイトに申し込みをしたので、物価の安いここに滞在中。
観光らしいのはしてないが、温泉にいったり、オペラ鑑賞をした。
なかでもオペラ鑑賞はすごくよかった。
1番やすい席は400FT(約300円)でみれる。 もちろん最上階の立ち見だが、日本では考えられない価格だ。
オペラ劇場は映画で見るような造りで、2、3階の端っこにはバルコニー式の個室があり、そこから体を乗り出すようにして劇を見ている。 もちろん、舞台のすぐ下にはオーケストラがいて、その演奏に合わせて歌をうたう。
歌自体は多分スペイン語、字幕もあったがハンガリー語だったので、正直意味があまり分からなかった。
舞台の演目は、ELEKTRA(エレクトラ)。 よくわからないが、ギリシャでの話らしい。 原作を読みたくなった。

また、カローラ大学の日本語授業に参加もした。
これは、アンダンテという日本人宿に遊びに行った時、そこのスタッフの学生に誘われたのがきっかけで何回か遊びに行った。
授業では作文やテーマべつに発表する形式で、その作業を手伝ったり、日本人の意見を話するのがおもな役割。
皆真剣で、ハンガリーと日本人の考え方や、文化の違いについて話し合うのが楽しかった。
また、そこでサンシンを披露したらすごく喜んでもらった。
久しぶりに学生の気分を味わえて、楽しいひとときを過ごせた。

だが気がつくと、3週間近く立っている。
もうそろそろ移動しようかなー


オペラ劇場


オペラ劇場その2


地元の大学生と・・・  

Posted by キヨドコ at 06:31Comments(0)

2011年09月22日

ブタペストの 生活日記 の巻

11月25日朝7時半、ザグレブからブタペスト行きの列車に乗った。
ちなみにこの電車のチケットは、ソフィアの宿で一緒だった雄太君からもらったチケットである。 この間の電車チケットは、片道で買うより往復で買う方が安いという不思議なチケット。 その復路分をもらったわけだ。 ゆうたくんありがとう!!
ブタペストはハンガリー首都で、人口200万人の大きな街。
ここではヘレナハウスという、ヤミ宿にとまった。 この宿は格安で、1泊6ユーロ(約1000円)で昼食付き!!
盗難保険の手続きがあったので、この宿にしばらくいることにした。
昼食が付いているので、朝はパン、夜が自炊てな感じで、1日10ユーロ以下で過ごせる。
しかもたまに流しをするので、1日の滞在費を稼げたりする!

また、ここブタペストはフォアグラが安いので有名。 市場に行くと、生のフォアグラが1キロ3500円で売っている。
宿に入る日本人5人で、500グラムのフォアグラを買ってフォアグラ丼をつくった。
味付けはにんにくバター醤油でおいしかったが、初めて食べるフォアグラは、思ったよりっていうかめっちゃ脂っこい!
ほとんど油ではないかというくらいである。

フォアグラのほかにも海老が安く、生海老1キロ1000円! これはもとレッドロブスターで料理長をしていたさとし君が、バジルペースト&ニンニクバター醤油でソテーにした。
頬がおちそうになるほど、旨かった!!

ブタペスト最高!!


王宮の丘からの風景(ドナウ川)


町での流し風景


フォアグラ丼!!  

Posted by キヨドコ at 06:26Comments(0)

2011年09月22日

ザグレブで エルモ大暴れ! の巻

11月22日夜9時、後ろ髪を引かれる思いで、ザグレブ行きのバスに乗った。(230クーナ・約5060円) バス代が思ったより高かったが、流しで思ったより稼げたのであまり痛くなかった。
翌朝6時前、クロアチアの首都「ザグレブ」に着いた。 宿のチェックイン後、市内観光して夕ご飯代を稼ぎに流しをした。 1時間ちょっとで167クーナ(約3600円)稼いだ。 サンシンはあまりうまくないが、ヨーロッパではかなり珍しいらしい。 英語の曲は歌えず、日本語オンリーだがこれだけ稼げた。 自分にご褒美ということで、久しぶりにレストランで食事をした。 レストランって言っても、地元の人が集まるところで、安くてボリュームがあるとのこと。 食べた料理は「ザグレブ風カツレツ」で、チーズとハムを挟んで揚げたカツレツだ!! 
セットメニューになっていて、サラダ・スープ・パン・メイン・デザートがついて35クーナ(約770円)。
またメインの付けあわせがポテトで、かなり美味しくボリューム満点!! 値段は張るが、かなり満足した。
翌日、本当はこの日に出発するつもりだったが、前の日の流しの最中にバーでの演奏を依頼されていた。 初めは断ったが、スノボ関係のパーティーというのと、舞台ではなく「入り口で入ってくる、お客さん相手に盛り上げてほしい」とのことだったので、引き受けることにした。
パーティー大好き!! な、私としては最高の依頼。 しかも少しだが報酬もある。 バックパックの奥にしまっていた、「エルモ」の着ぐるみを出してパーティーに出席した。
演奏自体は入り口で、ビールを飲みながらのラフな感じ。 1時間くらい弾いて、その後は中で飲み食い放題で踊りっぱなしだった。 シャー君(かぶりもの)も大好評で、めちゃくちゃ楽しんだ。
気がつくと夜中の1時を回っていたので、帰ることにした。
帰るときに「少しで悪いけど・・・」と言われたが、100クーナ(約2200円)も、もらえた。 
めっちゃ楽しんで、お金ももらえ最高のひと時をすごした。 



名物料理「ザグレフ風カツレツ」


広場にいた バイオリン弾きの少年


パーティーでかわいいねーちゃんと・・・  

Posted by キヨドコ at 06:20Comments(0)

2011年09月22日

ドブロブニクは 映画のような町だった! の巻

11月20日朝7時、クロアチアの「ドブロブニク」行きのバスに乗った。 (27KM→約2300円・4H)
ボスニアを出国してしばらくすると、海が見えてきた! 
トルコ以来(っていっても1ヶ月ぶり) の海だったが、これまでの町は大雪で、寒いのが嫌になっていたからスゴクうれしい。
もち、あたたかい!! 暖かい&海は最高だ!!!  自然にテンションが上がってくる。 

バス停に着くと、宿引きのおばちゃんに囲まれる。  旧市街がメインなので、そこから徒歩圏内の場所、なおかつ100クーナ(2200円)以内の部屋に泊まりたかった。 交渉したが、宿の値段が高くてだめだった。
仕方ないので、ユースホステルにチェックイン。(87クーナ→約1900円) 

チェックイン後、メインの旧市街に向かった。
ここドブロブニクは、宮崎駿の映画「紅の豚」や「魔女の宅急便」の、モデルになったといわれる町だ。 
町を歩いていると、真っ青の空にオレンジ色した赤瓦の屋根が輝いている。 また、セルリアンブルーのアドリア海がある。
ほうきに乗ったキキが、空を飛んでいそうな景色。
映画の世界をリアルに表現した感じをうけた。(映画のほうが表現したんだけど・・・)  

一目見てこの町が好きになった。 
ここはいわゆるツーリストエリアだが、外食をせず自炊をしていけばのんびりできる町。
ここでサンシン使って、何回か流しをした。  ツーリストも多いのもあるが、ヨーロッパの人はこういう流しをしている人に優しい。
お金をくれなくても、「笑顔でがんばって」っていってくれる。 これだけでもすごく励みになる。
結果は予想以上よく、3日間(1日1時間くらい)で、7000円稼いだ!!  ヨーロッパは物価が高いが、こういう感じでいけばアジア並みか、それ以上に出費を抑えられる。 これからの旅が楽しみになってきた。 



ドブロブニクの町並み


宵のうちの旧市街


高台からの町並み  

Posted by キヨドコ at 05:45Comments(0)

2011年09月22日

モスタルで 平和について考える の巻

11月19日朝7時前、サラエボの駅からモスタル行きの電車に乗った。(9.9KM→約850円) 2時間半でモスタルについた。
モスタルは小さな町で、2時間もあれば見て回れる町だが、次に行く「ドブロブニク」へのバスがなく、1泊することにした。

ここモスタルも内戦時、被害を受けたところだ。 サラエボは、ずいぶん復興が進められていたが、モスタルはあまり進んでおらず、戦争の傷跡がたくさん残っていた。
しかし町中には、世界遺産に登録されている橋(内戦時に壊されて最近再現された)や、きれいな川と美しい町並みがある。
だがやっぱり、内戦の傷跡と共存している町だという印象を持った。

やっぱり平和が1番だと、改めて感じた。
 


モスタルの美しい町並み


内戦で破壊されたままになっている建物


世界遺産のアーチ橋  

Posted by キヨドコ at 05:40Comments(0)

2011年09月22日

ブログ復活! & ボスニア・ヘルツゴヴィア 入国!! の巻

はいさい、ご無沙汰してました。  やっとブログ再開出来ます。 
心配をかけたことを謝ると共に、多数の励ましのメール等ありがとうございました。  もう、事件からは立ち直り頑張っていきます。  これからもよろしくお願いします。


11月15日、例の事件があったのでこの日は朝から、警察署にいき事情徴集とポリスレポートを出してもらった。(これがないと保険が下りない)
夕方、宿を移って盗難事件の腹いせに、中華料理を食べ満足した。

翌日、列車の切符と新しいカメラを買いに行ったが、ここでもまさかの失敗を犯してしまう・・・
カメラとチケットを買い、宿をチェックアウト後、「べオグラード」行きの夜行列車に乗った。 荷物を置き、トイレへ行った帰りに、何気なくパスポートのチェックをしたら・・・  






















ない!  パスポートがない!!  どうさがしてもない!!!

普段、腹巻に入れているが、チャックが空いていてパスポートがなくなっていた。
とりあえず少し落ち着いて、最後にどこでパスポートを見たのかを思い出すことにした。

最後に見たのがカメラを買うときで、税関申告用にパスポートを提示した時にみせたのを思い出した。 その後、受け取ったかどうかは忘れてわからない。(><)
うる覚えだ。 だが、もし店に忘れていても、店の従業員が盗んで、「ここにはなかった」 と言われる可能性もある。 万が一のこと(パスポート再発行)も考え、列車を降り、とりあえず宿に戻った。
その時、夜の11時を過ぎていて店は閉まっているので、翌日店に行くことにした。

翌朝、店が開くと同時に中に入った。  すると昨日、カメラを買うときに対応していた従業員が
「おまえ、パスポート忘れていたぞ! 気をつけろよ」
といい、パスポートを渡してくれた。 話によると、日本大使館にまで連絡したらしい。 かなり親切な人でよかった。  
今まではパスポートを取り忘れる、ということは一度も無かった。 多分、事件の後遺症でまだ動揺していたのかもしれない。  まっ、とにかくパスポートが無事に戻ったのはすごくラッキーだった。

その日の夜、夜行列車でセルビアの首都「ベオグラード」へ向った。(28レバ→約2500円・7時間)

11月17日朝7時、べオグラードに着いた。 セルビアといえば元ユーゴスラビアで、独立時に内戦があり、街の中にはNATO軍が、ミサイルで破壊したビルがまだ残っているらしい。 そこだけ見てボスニアに向うつもりだったが、街は雪が降っていて、10センチは積もっている。 寒さに負けて観光はせず、1時間後に出るサラエボのバスに乗った。(1225DIN→約2500円・8時間) 
移動中の景色は一面雪景色で、スノボをしたくなった。

夕方4時、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都「サラエボ」に着いた。 
ここ、サラエボは1984年に、冬季オリンピックが行なわれたところだが、その7年後の1991年に、ユーゴスラビアからの独立のために激しい内戦がおきた場所だ。
この戦争で、約20万人が犠牲になったといわれている。 その犠牲者の数は、二つの世界大戦の次に多いことから、その死者の数の多さがわかる。(難民は総人口の半分の250万人) しかも、その戦争が終わったのが1995年だから、終戦からまだ10年ちょっとしかたっていない。 街はだいぶ復興されていて、新しい建物が多い。 だが住宅街に入ると、まだ壁に銃痕の跡が残っていて、市街戦の激しさを物語っている。 
また、オリンピックスタジアムの跡地(サブグラウンド)には、戦争でなくなった人たちの墓地になっている。 
見ていると気持ちが沈んでしまうが、戦争の悲惨さ・平和のありがたさを実感できるから、みないといけないと思った。 

このサラエボの街は半分に区切ってあって、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国と、セルビア人共和国に別れている。 そのボスニア側にはクロアチア人・ムスリム人が住んでいて、セルビア側はセルビア人が住んでいる。 そのせいか夕方になると、イスラム教徒のアザーンと教会の鐘がこだましている。 不思議な感じがした。 

旧市街(とはいっても新しく立て直されているので、新市街っぽい)は、ツーリスティックな場所で、とても最近まで戦争があったところとは思えないくらいキレイな造り。
また、その近くには第1次世界大戦のきっかけとなった、サラエヴォ事件現場の橋もあり、昔から内紛の絶えなかった場所、というのを感じさせられた。



街の中にある破壊された後の建物


世界大戦のきっかけとなった「サラエボ」事件の橋


オリンピックスタジアムにある墓地   

Posted by キヨドコ at 05:35Comments(0)

2011年09月22日

恐れていたことが おこってしまった の巻

10月30日朝6時、ついにアジアのハイライト『イスタンブール』についた。 アジア横断に約10ヵ月かかってしまったが、それはあっという間に過ぎたかんじだ。
イスタンブールでは、名物?のさばサンドばっかりたべていた。 なにもするわけでもないのに、あっという間に1週間たっていた。

11月7日夜行バスでブルガリアの首途『ソフィア』にむかった。 ここには有名な日本人宿『シスターズイン』があったが、宿がしまったのでちかくにある『バックパッカーズイン』にとまった。(これが後々しっぱいすることになる)

ソフィアはあまりみどころがないが、中華料理がおいしくてワインがやすい。(計り売りの安いやつが1リットル90円)
豚肉も格安なので毎日豚ざんまいだった。
ただ急激に寒くなっていて、毎日雪がふっていた。
そうこうしているうちに、5日もたってしまった。
明日でようとおもった日に事件がおこった。
朝、荷物をつめようとバックパックをみたら不自然にあいていた。

















恐る恐る中をのぞくと、ノートパソコン・カメラ・外付けハードディスクがなくなっていた[m:55] かばんには鍵をかけていたが、チャックを無理矢理あけられていた[m:246]

すぐに宿の従業員を よんで警察に連絡。 全員の荷物チェックと指紋採集をしてもらったが、やはりみつからなかった。
多分内部の人の犯行だとおもうが、むやみに疑うのは気がひけるし人間不信になりそうだったのであきらめることにした。
ただひとつのすくいは、旅行保険に加入していたので少しは保険でカバーできそうだ。
だが、なによりもいたいのが写真のメモリー。トルコやイランの写真が全滅。
今迄何もなかった分、少し気がぬけていたところをやられたかんじ。 ひさしぶりに落ち込んだ。


だけど今は『荷物がかるくなった!』 という気持ちになってきた。
ナンクルナイサーでがんばりまーす!!

P.S しばらくはHPの更新、写真の掲載ができません。 ごめいわくをおかけします。 すいません[m:56]
  

Posted by キヨドコ at 05:32Comments(0)

2011年09月22日

カッパドキアは すんごくいいとこ パート2 の巻

ギョレメに滞在して早くも1週間が過ぎた。 ここでの生活はシンプルで、お腹がすいたらご飯を作って食べ、暇になったら散歩をしたり話をしたり・・・
宿にはウズベキスタン・トルクメニスタン・イランであった、ヒロキ君・アキちゃんのカップルと、渡辺君、キルギスで会ったようこちゃん・さーやーがいる。
みんな気のあう人で、一緒にいてとても楽しい。 時間があっという間に過ぎていく。 
まだまだ滞在したいが、12月までにドイツに行くことに決めていたので、出発することにする。 出会いがあれば別れがある。 楽しかった分、別れはつらくなるもの。 これは旅を続けていれば必然的に多くなる。 これを活力にして、旅を続けていくもんだなあって、最近思うようになってきた。 
この後はイスタンブールだ。 ここを境にアジアのたびが終わる。 さあ、次に向かうぞー! 


ヒロキ君、アキちゃん


ようちゃん、さーやー


きのこ岩  

Posted by キヨドコ at 05:30Comments(0)

2011年09月22日

カッパドキアは すんごくいいとこ の巻

10月21日朝4時、ネヴシェヒルに着いて4時間後、ギョレメ行きのバスに乗った。 
バス停について宿を探そうとしていた時、偶然にもノブさんに再会した。 ノブさんはパキスタンのフンザであっていて、2ヶ月ぶりの再会。 宿にチェックインをして、一緒にハイキングに行った。 チャウシンと言う町までヒッチハイクをして、岩をくりぬいた教会跡を見学した。 ここは実際50年前まで人が住んでいたところだ。 中は風化のためか所々損傷はあったが、当時を思わせるような佇まいだった。 
町を抜けしばらく歩くき、LOSE VELLY へ向かった。 その途中の道沿いに、りんご・ブドウの木とトマト畑があって軽い昼食になった。  自然の物はメチャクチャおいしく、体も動かしていたので楽しいハイキングになった。  夕方近く、高台に登り夕日を見た。 ローズバレーの岩肌に夕日が当たり、ピンク色の岩が赤色に染まった。 自然のモノどうしが織り成すハーモニーには、ただ、ため息が出るだけだった。 夜は食材を買ってきて、宿に付いているキッチンで自炊。 宿の皆とシェアをして作る食事は格別にうまい。 
翌日、朝早く起きて朝日を見に行った。 ギョレメの町が一望できる場所からの朝日は格別で、その中に気球がたくさん飛んでいる。  その風景は夢のような感じ。  朝から幸せな気分になれる。 ここでの生活は最高だ!!
 
  
20年前まで住んでいた洞窟の住居


きのこ岩と夕日



気球の朝焼けツアーの様子  

Posted by キヨドコ at 05:22Comments(0)

2011年09月22日

カッパドキアは すんごくいいとこ の巻

10月21日朝4時、ネヴシェヒルに着いて4時間後、ギョレメ行きのバスに乗った。 
バス停について宿を探そうとしていた時、偶然にもノブさんに再会した。 ノブさんはパキスタンのフンザであっていて、2ヶ月ぶりの再会。 宿にチェックインをして、一緒にハイキングに行った。 チャウシンと言う町までヒッチハイクをして、岩をくりぬいた教会跡を見学した。 ここは実際50年前まで人が住んでいたところだ。 中は風化のためか所々損傷はあったが、当時を思わせるような佇まいだった。 
町を抜けしばらく歩くき、LOSE VELLY へ向かった。 その途中の道沿いに、りんご・ブドウの木とトマト畑があって軽い昼食になった。  自然の物はメチャクチャおいしく、体も動かしていたので楽しいハイキングになった。  夕方近く、高台に登り夕日を見た。 ローズバレーの岩肌に夕日が当たり、ピンク色の岩が赤色に染まった。 自然のモノどうしが織り成すハーモニーには、ただ、ため息が出るだけだった。 夜は食材を買ってきて、宿に付いているキッチンで自炊。 宿の皆とシェアをして作る食事は格別にうまい。 
翌日、朝早く起きて朝日を見に行った。 ギョレメの町が一望できる場所からの朝日は格別で、その中に気球がたくさん飛んでいる。  その風景は夢のような感じ。  朝から幸せな気分になれる。 ここでの生活は最高だ!!
 
  
20年前まで住んでいた洞窟の住居


きのこ岩と夕日



気球の朝焼けツアーの様子  

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2011年09月22日

トルコはやっぱり高かった の巻

10月18日夜7時、無事イランを抜けてトルコに入国。 国境から乗り合いタクシーで「ドゥバイジェット」へ向かった。(3リラ・約300円)
翌日の朝「イサク・パシャ宮殿」へ行った。 そこへ向かう道は野良犬がいっぱいいるので、乗り合いタクシーで向かった。(1リラ)
入場料が5リラだったが、偽学生証を提示したらタダになった。 イサク・パシャは17世紀に建設された宮殿で、部屋数が366の大きな城跡。 丘の上にあるため、そこから見る風景はすごくよかった。 
帰りはヒッチハイク。 トルコの人は優しくてすぐに乗せてくれるし、お菓子までもらった。 夜はハマムというトルコ式の銭湯に行って、入浴と垢すりをしてもらった。 (12リラ)
トルコでの外食は値段が高いので、夕食はパンとトマト。 自炊をしたかったが、キッチンが付いてなかったので、できなかった。 
10月20日昼12時、ネヴシェヒル行きのバスに乗った。 (55リラ・5500円) バス代は急に高くなり、ヨーロッパが近づいてきた感じがした。 
 


イサク・パシャ宮殿のテラス


宮殿の内部


宮殿からの眺め   

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2011年09月22日

イラン入国! の巻

10月13日朝6時半、長距離バスターミナルへ向かった。 国境までのバスに乗るつもりだったが、あいにく満員で乗れなかった(><) 仕方がないのでバスを乗り継いでいくことにした。ジョルゼまでバスで行き(15,000マナット・約75円・4H)、そこからタクシーで国境へ向かった。(1人$2・約2時間)
意外と簡単に出国できて、乗り合いタクシーでイラン国境へ。(1人20,000マナット)  イラン側の入国手続きはもっと簡単にでき、旅を始めて14カ国目のイランへ入国した。
イラン国境からタクシーをシェアして、イスラム教シーア派の聖地「マシュハド」へ向かった。(1人50,000リエル・約650円)  イランは移動費が安いと聞いていたが、その前のトルクメニスタンが安すぎたので、高いと感じた。 
マシュハドの街の中心地にある「エマームレザー」(モスク)の近くにあるホテルにチャックインした。 ちょうどこの日はラマダーン(太陽が出ている間は絶飲食)明けの祭りで、街は多くの人でにぎわっていた。 夕食後、エマームレザーを見学。 中にはカメラの持ち込み禁止で(入り口でボディーチェックあり)写真撮影はできなかったが、モスク内の建物・装飾は、今まで見た事のない位の規模のでかさと美しさがあった。 それよりもすごかったのが中にいる信者で、みんなコーランを片手に唱えている。 なかには扉や壁にキスをする人もいて、イスラム教徒の信仰心の深さを感じた。 
その後久しぶりのネットをしていたら、友達からメールがきていた。 内容は「イランで日本人が拉致されて問題になっている、大丈夫か?」 このときに初めて拉致事件のことを知った(><) 拉致された場所はかなり遠くのところだが、同じ国内となればやっぱり怖い。 もともとイランへは、トランジェットビザ(滞在が1週間)で入国していたので、長居するつもりはなかったが早めに出国しようと思った。

10月15日昼2時半ごろ、イランの首都テヘラン行きの列車に乗った。(88,000リエル・約1150円)) テヘランに着いたのが翌日の朝3時だったので、駅の喫茶店で朝まで時間をつぶした。 宿にチェックイン後、テヘラン名物(?)のシュークリームを食べた。 カスタードクリームではなかったが、久しぶりのシュークリームだったのでメチャクチャおいしかった。 
テヘランでの観光は、宝石博物館だけだったが結構見ごたえがあった。 入場料は高めで、30,000リエル(約400円)。 中に入る前は厳重なチェックがあり、もちろんカメラ持ち込み禁止。 博物館内にはダイヤモンドをはじめ、ルビー・サファイア等の宝石や純金があり、雰囲気は「ルパン3世」に出てきそうな感じ。 宝石等で作った王冠や装飾品、面白いのは地球儀まであった。  その中での1番の見世物は120カラットのダイヤモンドだったが、あまりカットをしていなかったので只のガラスのようだった。    

その後は、ダブリ-ズへバスで移動。(60,000リエル・9時間) ダブリーズで1泊して、マーク-→イラン国境へと移動した。


マシュハドの街並み


道路で運動会(テヘラン)


Mt.アララット(国境付近)
  

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2011年09月22日

ガスクレーターは 熱かった! の巻

10月10日朝、宿にチェックイン後、お店でマカロニとアンチョビ缶詰を買い(28000マナット約140円)宿で調理。 この宿には宿泊者用のキッチンが付いていて、自炊ができる。
朝ご飯を食べていると、裕樹君・亜紀ちゃんカップルがチェックイン! サマルカンド(ウズベキスタン)の宿以来の再会!! 旅をしていると、こういう再会が度々ある。 しかも中央アジアだと行く宿が限られているため、なおさら多い。 このカップルは、世界1週旅行中に出会い一緒に旅を続けているが、2年たった今まだアジアを抜けてないというかなりの強者カップル。
9ヶ月経ってまだアジアを抜けられない、と焦っている俺には勇気をもらえる。 久しぶりの再会を祝してパーティーをしようとしたところ、一緒に旅をしているサトシ君が日本のカレールーを提供!! サトシ君の粋な計らいのおかげで、夕食はカレーパーティーをすることになった。 日本を出てから早9ヶ月。 カレールーの匂いをかいだだけで、唾が口の中にたまり、油断するとヨダレが垂れそうになる。 裕樹君たちは2年ぶりで、カレールーの匂いを一生懸命かいでいる。 まるでシンナー中毒者だ。 早速市場に出かけて、食材の買出しをした。
闇両替のおかげで、食材がメチャクチャ安い。 ニンジン・キロ15円、ジャガイモ・キロ25円、玉ねぎ・キロ15円、トマト・キロ20円、牛肉・キロ400円、てな具合だ。 果物も安く、マスカットがキロ25円! 食材が安いので、買い物していてメチャクチャ楽しい。 ウォッカもボトル100円だったので2本買った。 こういった物価の安い街に長居したいが、ビザの関係で5日間しかいられないのがもったいない。 夕方、4人のハイテンションな日本人がカレーを調理した。 その味は飛んで行きそうな位おいしかった!! 長期の旅行になると、食べ物のホームシックにかかるので、この味は特に格別だった。
10月11日朝7時、裕樹君たちに見送られ、宿をチェックアウトした。 本当はアシュガバードでゆっくりする予定だったが、ウズベキスタンで日本人の旅行者から聞いた、「ガスクレーター」に行くことにした。 そこはガスの発掘作業中にガスに点火してしまう事故があって、消火活動むなしく日が消せない状態が未だに続いているらしい。 そこの場所は砂漠の真ん中で行きずらいが、おもしろそうだったので行くことにした。 ウルゲンチ行きの乗り合いタクシーに乗り、DERWEZE(デルヴェゼ)で途中下車。($5) 近くにあるチャイハナっていう、食堂に常設してあるゲルに泊まる事にした。(めし付き$5)
日が暮れるころ、トラックをチャーターして(2人で$14)ガスクレーターに向かった。 その場所は、幹線道路から舗装されていない道を10㌔ほどいくので、徒歩では無理だ。 あたりは真っ暗だがその場所に近づくにつれ、赤く光っている。 ようやくガスクレーターの近くに着いた。 そこからは徒歩で近づいた。 想像していたより穴は大きくて、直径100メートル・穴の深さは約2,30メートルくらいあるだろうか。 近くに行くと穴の中から、「ごわー」という熱風が吹き荒れていて、至る所で炎が吹き出ている。 あまりにも非現実的な光景で、怖さを通り越していて美しさを感じた。 しばらく見ていると、穴に吸い込まれそうな気分になったので、早めに退散した。 宿に戻って夕食を食べ、外で星空を見た。 砂漠の真ん中だろうか、あまりにも星が多く、流れ星も何回か見れた。 
翌日、朝9時から帰りのヒッチハイクをした。 ここからアシュガバードまでは、300キロメートルある。 ウルゲンチからの乗り合いタクシーか、トラックを捕まえないといけない。 トラックはなかなか止まってくれなく、たまにくる乗り合いタクシーは満員でなかなか乗れない。 夕方4時過ぎ、やっと1台のタクシーが止まり、アッシュガバードまで乗せてもらった。($6) 宿に着いたのは夜の10時過ぎ。 シャワーを浴びて夕食をとって、すぐに就寝した。


泊まっていたところの風景


ガスクレーター


ガスクレーター2


  

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2011年09月22日

皆で抜けよう! トルクメニスタン!! の巻

10月4日朝10時、タシュケント行きのバスに乗った。(4000ソム) 今回タシュケントに戻るのはトルクメニスタンのビザを取るためだ。 宿にチェックイン後、すぐにトルクメ大使館へ向かった。 大使館前で2時間近く待たされたが、無事にビザをゲット!! トルクメのビザは観光ビザだと、ツアーじゃないといけなく高くつくので、今回はトランジェットビザを取った。 そのビザだと滞在が5日間しかいられないので、うまく予定を組まないといけない。 あと、出入国日を前もって決めないといけないきまりがあり、旅行者にとっては旅がしにくい国だが、長期旅行者の中では結構人気がある国なのだ。 そこは、ヌアゾフ大統領(バシュ様という)が独裁体制を作り、自分を神とたとえて町中の建物に自分の写真を掲げたり、地域の名前を自分の父親の名前の変えたりと、メチャクチャなやりよう。 あげくのはてには自分の金の銅像を塔の上に作り、それが太陽の向きによって動く「黄金のバシュ像」まである。 それを見に行くためだけに、ここに訪れる人の少なくない。 残念ながら去年、バシュ様は心臓発作で亡くなったが、それでもこの国を見てみたい。 自分にとっては、中央アジアのメインの国なので楽しみだ。

タシュケントからブハラへ行き、10月9日に「トルクメニスタン」へ入国した。 入国審査は簡単に終わり、国境から町まで向かうタクシーと交渉していたが難航していた。 そこに入国審査の時に知り合ったユウさんという韓国人が通り、「よかったら僕の車に乗らないか」と誘ってくれたのでお世話になった。 ユウさんはビジネスマンで、首都の「アシュガバード」とウズベキスタンと、韓国を行ったり来たりしながら仕事をしている。 車で4時間走り、メリブ遺跡の近くに降ろしてもらった。 お金は受け取らず、「Good Luck」 という素敵な言葉を残して去っていった。 (ユウさん、ありがとう!!)  すっかり気分がよくなっていたが、その後に落とし穴が待ち構えていた・・・
周りにいた人と闇両替 (肯定レートがあまりにも悪すぎるから、闇両替は皆行っている) をして、遅めの昼食をとろうと食堂を探していたときに、1人の男が声をかけてきた。 食堂の場所を聞くと、案内してやる とのことだったので、ついていった。  
食堂に入ると店員に話をして、しばらくすると生ビールを持ってきた。 一言もビールがほしいとは言ってなかったので、これを拒否すると「お金はいい、俺がお金を出す」と言っていたが、何か裏がありそうな感じがしたので、断って店を出た。 ほかの店を探していると、またあの男が付いてきて店に入ろうとする。 付いてくるなって言ってもお構いなし。 疲れていたので、店を探すのをあきらめ、商店に入りパンと水を買ったがそのお金も払おうとする。 それをはねのけて、お金を払って店を出た。 まだ付いてくるので、「もういい」と言うと、「わかった」と言って、握手を求めた。 握手をすると、顔を近づけてキスをしようとする。 「FUCK! 死ね!!」 といい、突きとばした。 早くその場から逃げたかったので、近くにいたタクシーの運ちゃんに値段交渉している最中にも、現れて運ちゃんにお金を渡して「ゼロダラー OK!!」という。 お金の代わりにお尻を貸すのはイヤだから断固拒否!! 
「もうついてくるな、バイバイ」 っていうといなくなるが、値段交渉していると現れて同じことを繰り返す。 一緒にいたさとし君もかなり疲れている。 オレもいい加減疲れてきたので、男がいなくなった隙にタクシーに乗り込み、すぐにタクシーを走らせた。 もうそのころには2人ともメリブ遺跡をまわる元気がなく、マリという町の駅に向かった。

マリからは夜行の列車で、トルクメニスタンの首都「アッシュガバード」に向かった。 驚くのがその値段で、200キロ以上もあるが約45円!(闇両替レート) 一番安い席にしたがあまりにも安すぎる。 1等席にすれば良かった。 またガソリンも安くて、$1あれば60リットル入れられる。 石油産出国というのもあるが、それにしてもこの値段は以上だ。 (旅行者には嬉しいかぎりだが) 

アシュガバードには朝の7時に到着。 宿にチェックインして、ようやく落ち着いた・・・


アッシュガバードの街並み


バシュ様黄金像(太陽の向きにあわせて回る)


旅中にあった山本弘(ひろしっち)。 最近旅行記の本を出版 したので、興味がある人は買ってチョ! タイトルは「手のひらのなかのアジア」 くわしくは、http://ameblo.jp/hylife/  みてね!




  

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2011年09月22日

サマルカンドは 青かった の巻

10月1日お昼、ヒバからウルゲンチへ乗り合いタクシーへ行き、夕方出発のバスに乗り換えて「サマルカンド」へ向かった。(10000ソム・約1000円) 
翌日朝7時にバスターミナルに到着。 マルシュートカで町の中心部へ。(300ソム)  宿にチェックイン後、シャーヒ・ズィンダ、ビビ・ハヌム・モスク、レギスタン広場を見てまわった。
特によかったのがシャーヒ・ズィンダ。 最近修復されていて、タイル等が真新しいのが残念だが、当時の雰囲気を再現していた。  
夜になり、グーリ・アミールの見学に行った。  ここは通常夜8時までなのだが、閉館後に行くと警備員のおじさんが開けてくれる。 普段はたくさんの人でにぎわっているが、この時間だと誰もいないので、貸しきり状態でゆっくり見ることができる。 しかも料金が交渉しだいで安くなるという特典つき。  そのわけは、閉館後の入場料が警備員のポケットに入るらしく、お互い得をするという仕組みだ。   そのグーリ・アミールは、15世紀に最盛期だったティムール朝の3代の王様の墓で、ティムール、シャー・ルフ、ウルグベクが葬られている。  内部はかなり豪華なつくりで、大きなシャンデリアがあって全体が金箔で覆われてる。  あまりにも輝いていて、夢の中にいるような感じだった。


シャーヒ・ズィンダ


グーリ・アミール(王様の墓)


グーリ・アミール内部

  

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